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台所文芸論―生と死をめぐる食卓 第3回

  • 湯澤規子
  • 1 日前
  • 読了時間: 10分

湯澤規子


「彼女」はそこにいたのに『わたしはティチューバ:セイラムの黒人魔女』マリーズ・コンデ


セイラムの魔女裁判

 その事件のことは、文献を通して知っていた。しかし、「彼女」がそこにいたことに、私は全く気づいていなかった。その事件とは、1692年3月にアメリカ合衆国マサチューセッツ州エセックス郡セイラム村で起こった魔女裁判のことである(1)。魔女裁判の嵐は17世紀には定期的に起こっていたが、セイラムのそれはアメリカ合衆国最大にして最後のものだったと伝えられている。

 

 史実によれば、この裁判はセアラ・グッド、セアラ・オズボーン、そして「罪」を告白したある女性の逮捕で始まった。セアラ・オズボーンは1692年5月に監獄内で死亡している。19名が絞首刑になり、1名が圧死の刑を宣告された。翌年、未だ牢には50名以上の魔女とされた人びとが残されていたが、ロンドンに届けられた同裁判の報告書により、1693年5月に被告人たちは恩赦により釈放された(コンデ2018:308)。「彼女」もその一人だった。

 

 私は拙著『焼き芋とドーナツ―日米シスターフッド交流秘史』(KADOKAWA、2023年)の後半、「第2部 アメリカの女性たち」でこの事件に言及し、イギリスからの移民が押し寄せた17世紀のアメリカ合衆国の不安定な社会情勢と先住民に対して抱く恐怖、厳格なピューリタニスムの中に生きる人びとの心情によって引き起こされた社会的な事件であったという見解を述べた(写真1)。その時に私が想定していたのは、白人のピューリタンたちが集まるコミュニティだった。今になって思えば、それは非常に表面的で不十分な理解だったと言わざるを得ない。その中に白人牧師の奴隷であった黒人女性ティチューバがいたことなど、想像すらできなかったからである。


写真1 『焼き芋とドーナツー日米シスターフッド交流秘史』
写真1 『焼き芋とドーナツー日米シスターフッド交流秘史』

 

 ある黒人女性の物語―学芸が見落としてきたもの

 1692年3月に起こった魔女裁判は「罪」を告白したある女性の逮捕で始まったと先述したが、その女性こそがティチューバだった。事実は小説より奇なりというが、奇なる人生は小説でしか描けないこともある。書籍を上梓してから2年が過ぎた頃、1986年にマリーズ・コンデが発表した作品『わたしはティチューバ:セイラムの黒人魔女』を読んで、私は初めてあの魔女裁判の発端に黒人女性がいたことを知った(2)。コンデの作品はあくまでもフィクションであるが、ティチューバという女性は実際に存在した。それは当時の裁判記録の中に史実として残っている(3)。文献資料をもとに理解したつもりになっていた歴史像がガラガラと崩れ、別の色で塗り替えられるような感覚を覚えたことを、私はここで告白しておかなければならない。

 

 セイラムの魔女裁判が起きた時代状況については、先祖がその歴史に深く関与したというイギリスの作家ナサニエル・ホーソンによって『緋文字』という小説の序章で若干触れられている(4)。しかし、そこにもティチューバは登場しない。コンデは歴史家やイギリスの男性作家が描いてこなかったティチューバの人生を自身の人生に照らして豊かな想像力によって克明に、そして生き生きと描き、同書でフランス女性文学大賞を受賞した。同書冒頭のエピグラフにコンデは次のような言葉を掲げている。

 

 ティチューバとわたしは、一年間の間、ごく親密な仲だった。絶え間ない対話の間に、ティチューバはこれまでほかの誰にも打ちあけなかったことをわたしに語ってくれた(コンデ2018:エピグラフ)。

 

 ティチューバの人生とその運命は、アフリカにルーツを持ち、グアドループに生まれ、ヨーロッパとアメリカ合衆国の地を往復し、時にその歴史や社会に翻弄されながら生きたコンデ自身の出自とも深く関係していたからだろう。それをふまえると、アメリカ合衆国の歴史の中には帝国主義と植民地政策の中で産み落とされたティチューバやコンデのような運命を背負った数多の人生が存在していたのだと、私はようやく想像することができたのである。

 

ティチューバとは誰か―文芸の想像力

 「私の母アベナは。16××年のある日、バルバドスに向けて航海中の『王者キリスト』号の甲板で、あるイギリス人水夫に強姦された。わたしはその侵略的行為から生まれたのだ。その憎悪と屈辱の行為から」というモノローグから始まるティチューバの物語は、終始彼女の一人称で語られる。時に悲しく絶望的で、時に喜びに満ちた精気溢れるティチューバの語りにコンデは耳を傾ける。その傍らで、読者である私もティチューバのライフヒストリーに魅せられていった。

 

 年のころ弱冠16歳だったティチューバの母アベナは漆黒の肌と頬骨の高さが美しい女性で、バルバドスに到着すると金持ちの農園主に買い取られ、その妻の召使となった。しかし、やがて妊娠が発覚すると農場主は怒り狂う一方、アベナに性的な暴力を振るおうとした。その時にアベナが身を守るためにとった抵抗が、黒人による白人への抵抗と見なされて彼女は縛り首になり、この世を去った。母なき世界に残されたティチューバは、ママ・ヤーヤと呼ばれる黒人老女のもとで育てられた。

 

 薬草は「眠りを誘うもの」「傷や潰瘍を癒すもの」「盗っ人の舌をゆるめてしゃべらせるもの」「怒っている人、絶望的になっている人、自殺をしたがっている人の唇に希望の言葉をもたらすもの」。ティチューバはママ・ヤーヤからそういう世界を学びながら育った。人びとは恐れを抱きつつも、薬草の扱いや呪術に長けたママ・ヤーヤの能力に頼っていた。

 

 ママ・ヤーヤがこの世を去り、永遠の世界の住人になってからもティチューバは彼女と話すことができた。自然やこの世以外の世界とのつながり無くして、彼女は苦難に満ちたその苛酷な人生を生きられなかっただろう。女を愛することをせず、所有し、支配する男たち。過酷な労働。時に呪術に頼ろうとする白人たちが、ある時は自分たちを「魔女」と呼ぶことに対する戸惑い。ティチューバはそうした理不尽が渦巻くバルバドスから奴隷としてある牧師のもとへ売られ、彼の家族と一緒に海を渡り、アメリカ合衆国の地を踏んだ。ボストンに降り立った後(写真2)、その牧師が赴任した場所がセイラム村だったのである。

 

写真2 ボストンの街並み(2018年8月撮影)
写真2 ボストンの街並み(2018年8月撮影)

 

ティチューバの台所―西洋世界の中で「異端」とされるもの

 ティチューバはママ・ヤーヤから伝授されたもの、つまり西洋医学とは異なる方法で人を健やかにする術をもっていた。ハーブティーにラム酒をちょっと入れること、いぼをとり除くには生きたガマ蛙に押しつけて、蛙の皮膚に吸い込まれるまでこすること、寒さによる病気を防ぐためにドクゼリで作ったお茶を飲むこと、あらゆる傷にはキャベツの葉を当てておけば直りが早いこと、水ぶくれには生のカブをつぶしてつけること、下痢の手当には一日に三回クワの葉で作ったお茶を飲むことなどである。牧師の妻が生死をさまよった時には特別な祈禱をして回復を助けたこともある。

 

写真3 ハーブティー(2025年10月撮影)
写真3 ハーブティー(2025年10月撮影)

 

 様々な方法で癒しと治癒を施すティチューバの台所はいつの間にか、村の少女たちが集まる場所になっていた。少女たちは心身ともに不健康そのものだった。ロウのように青白い皮膚、園芸師によって枝を切られ、将来性があるのに損なわれてしまった樹木のような身体。揺れ動く時代の緊張感と大人たちの歪んだ人間関係の中に生きる少女たちもまた、言い知れぬ不安におののいていた。ティチューバはそんな少女たちを可哀そうに思い、楽しませようとした。ティチューバの台所に集まって少女たちがせがむお気に入りの話は、悪魔と同盟を結んだ人びとの物語だった。ピューリタンたちが恐れる「死」へとつながる悪魔の物語と、ティチューバが「生」のために拠り所とする呪術的な世界は同じものではない。だから、ピューリタンの社会ではティチューバや彼女の行為は怪奇的なイメージで面白がられることはあっても、本質的に理解されることがなかった。

 

 それゆえ、皮肉なことに、生きる気力を取り戻させようとした台所での出来事やおしゃべりは後に、ティチューバ自身が魔女であるという噂話となり、逮捕、そして魔女裁判へと展開していく。ティチューバの行為や考えは、西洋世界の中では「異端」と見なされるものばかりだったからである。

 

事件の根底にあったもの

 コンデの想像力と筆力により、息を吹き込まれたセイラムの暮らしとティチューバの人生は、その後、実際に歴史に名をのこす現実の魔女裁判へと接続する。これまでこの出来事は、怪奇的で異常な部分が強調されることが多かったが、近年、膨大な一次資料にもとづいた学術研究により、「名もない、口べたな人々の退屈な日々の生活の中に根ざしている」出来事だったのだという新しい見解が提示された(5)。その研究によれば、セイラム村の生活史からみると、不安と退屈を持て余していた少女たちの悪戯が大人たちに巧みに利用されて、コミュニティ内の差別と排斥に手を貸したという構図が見えてきた。魔女として告訴されたのは、村にとっては部外者であり、流動的な者たちばかりだったことがそれを示唆している。とりわけ女性たちが、村に渦巻く恨み、嫉妬、鬱屈などのはけ口になったのである。

 

 この学術的成果にコンデによる文芸の想像力を加えることが許されるならば、排斥された女性たちの中にはティチューバのような人生、つまり、帝国主義や植民地主義による世界の歪みを一身に背負いながら、自身のルーツに根差した暮らしや人生を「異端」や「魔女」と名付けられて否定される人びとが少なからずいたことになる。歴史のダイナミズムに翻弄され続けた知られざる人生。その個々の人生に思いを馳せる必要があるのだと、コンデの作品が私に迫ってくるように感じた。

 

 恩赦を受けて処刑を逃れたティチューバのその後の人生はどのようなものだったのか。「歴史家の意図的な、あるいは無意識の人種差別のおかげで、こういうことはわたしたちには決してわからない(コンデ2018:308)」とコンデは言う。だからこそ、自分で選んだ結末をティチューバに与えたのだと。いつかエセックス郡古文書館を訪ね、ティチューバに会いに行ってみたい。当時の裁判記録をめくりながら、私もティチューバと対話し、彼女のその後の人生を豊かに想像することができるだろうか。

 

誰もがもつそれぞれの物語

 そう考えた時、学芸の立場から、同時発生した出来事の記録を手掛かりに、多くの事例に照らしながら「誰もがもつそれぞれの物語」を手繰り寄せるサイディヤ・ハートマンの研究を思い出した。ある黒人少女の裸体写真との出会いから、その写真の背後にある出来事と社会のありようを考証したハートマンの著作の本文中には、Everyone has a different story to share.という言葉が記されている(6)。ハートマンは同時代の社会状況を傍証するアーカイヴに、これまで探られることもなく、沈黙のうちに紛れていた資料の断片をつなぎ、そこに現れた人物たちの生を考証するアフリカ系アメリカ研究の専門家である(7)。

 

 見つかった資料の意味を証言する潜在的な「声」を個別に辿る。その思索の過程には、夥しい文字資料と向き合う研究者としての行為と同時に、文芸の想像力との協業があるはずだ。歴史の中でほとんど見向きもされてこなかった数多の人生を忘却に任せないために、学芸と文芸との協業、その可能性を手離さずに追究していく必要がある。ティチューバとの出会いは私にそのことを伝えているように思われた。

 

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 写真4 本書は2019年の全米批評家協会賞(評論部門)ほか数々の出版賞を受賞した

 

 


【参考文献】

(1)セイレムと表記されることもあるが、ここでは表題の書籍タイトルに合わせてセイラムと表記する。

(2)マリーズ・コンデ著、風呂本惇子・西井のぶ子訳『わたしはティチューバ-セイラムの黒人魔女』2018年、新水社。

(3)ティチューバの裁判記録の原簿はエセックス郡古文書館に保存されている。その写しはマサチューセッツ州セイラムのエセックス郡裁判所にある。

(4)邦訳はいくつかの出版社から出版されているが、ホーソンの出自との関係に言及した序章が含まれているのはN.ホーソン著、八木敏雄訳『緋文字(完訳)』1992年、岩波文庫である。

(5)ポール・ボイヤー、スティーヴン・ニッセンボーム著、山本雅訳『呪われたセイレム―魔女呪術の社会的起源』2008年、渓水社。

(6)Saidiya Hartman. Wayward Lives, Beautiful Experiments: Intimate Histories of Riotous Black Girls, Troublesome Women, and Queer Radicals, Norton, 2019. 邦訳が出版されたばかり。サイディヤ・ハートマン著、榎本空・ハーン小路恭子訳『奔放な生、うつくしい実験―まつろわぬ黒い女たち、クィアでラディカルなものたちの親密な歴史』2025年、勁草書房。

(7)新田啓子「サイディヤ・ハートマン『わきまえない女たち、美しい実験』」『現代思想』50(1)、2022年、132-139頁。

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