凪のめぐる 第10回
- 7月8日
- 読了時間: 5分
和綿の庭
岡庭璃子
はぐれ雲工房を訪れるのは2年ぶりだ。
細い道を抜けて、ぽっかりと開けた広場に出た。大木の下に彫りかけの魂石がいくつも置かれていて、その先に工房がある。
「すみません」
大きな声で挨拶をしながら近づくと、奥から紙漉き職人の金刺潤平さんが出てきた。
「今日は紙漉きを見たいんだっけ」
工房ではすでに紙漉きの支度が整えられていた。紙料液と呼ばれる、和紙の原料を混ぜた水が満ちた漉き舟。紙漉きに使う簀桁は、天井から吊られた長い竹に括られている。窓際には竹ざるやプラスチックの計量カップ、壁側には紙や竹の器具が隙間なく並ぶ。積み上げられたCDケース。机の上には、種がついたままの綿が竹ざるの上に置かれている。跳ねて壁に付着した紙料液が乾いて紙となり、幾重にも貼りついている。この場所の時間が、工房のいたるところに見える。
潤平さんはCDコンポから流れるクラシックピアノに合わせるように簀桁を揺する。ピアノの音と舟水の揺れる音が重なり、空間を静かに満たしていく。
「日本の和紙は、縦揺りと横揺りをするんです」
簀桁を揺らしながら、潤平さんが説明してくれる。
「ベトナムや中国南部では縦方向、朝鮮半島では横方向にしか揺すらないんです。日本には梅雨があるから、一方向だけだと紙が弱くて割れてしまう。だから両方向に揺らすようになったんです。そうして日本の紙は強くなり、建材にも使われるようになった。ヨーロッパでは、文字や絵を伝えるメディアとしての役割が中心だったので、機械漉きの紙が出てきて、手漉きは廃れてしまった。でも日本では文字を書くためだけでなく、障子や襖など暮らしの中でも紙が使われてきた。そうした用途があったからこそ、日本にはいまも手漉きの文化が残っているんです」
そんな話をしているあいだにも、紙は次々と生まれていく。簀桁から簀を外し、紙床の上へ一枚ずつ丁寧に重ねられていく。やがてそれはひとつの大きな塊になっていった。その様子を見ているうちに、私が思わず、
「美味しそう。豆腐みたい」
と口にすると、潤平さんは笑って、
「でも本当にそんな感じ」
と返した。
はぐれ雲工房は、1984年春、胎児性・幼児性水俣病患者を含む五人で始めた紙漉きと機織りの工房である。肢体不自由だけでなく、指先の感覚や嗅覚にも困難を抱える人たちとともに仕事をするなかで、燃料には薪を使い、煮熟には草木灰や石灰、ソーダ灰などの弱いアルカリを用い、漂白剤は使わず板干しにして紫外線に晒す、薬品に頼らない昔ながらの工程が育まれていった。しかし、始めてしばらくは、具体的にどんな紙を作ればよいのかわからなかった。そんなとき、水俣を題材に小説を書いた作家・水上勉が訪ねてきた。
「私たちはガンピという高級な素材で紙をつくり、水上さんに手渡したんです。
すると水上さんはこう言いました。
『とても良い紙ですね。でも良い素材で良い紙ができるのは当然のこと。あなた達は社会から見放された存在でしょう。ならばこの工房は、道端の雑草にだって目を向けて、そこに命を通わせられる場所であるべきではないですか。一見して関係のないものも、向き合い見つめ直すことでそこに繋がりを紡ぐことができる。あなた達だからこその関わり方がある。魂を吹き込みなさい。それが本来の人間の仕事です』
水上さんが元々お坊さんだったこともあるのでしょう。あなたたちの立場を大切にしなさいと言いたかったのだと思います。
その言葉は胸に突き刺さりました。
いま私たちは、竹や井草、ミツマタ、たけのこ、玉ねぎの皮など、これまで見過ごされてきた素材から紙をつくっているんです。」
気がつくと、流れていた音楽は止んでいて、紙漉きの作業も終わっていた。潤平さんの作った紙の塊をよく見ると、細かな繊維がしっかりと絡み合っていた。
しばらくして、潤平さんのパートナーである宏子さんが、帰ってきた。
「いらっしゃい。中に入ったら?」
荷物を持って奥の居間へ上がっていく宏子さんに続くように、潤平さんも
「そうだね、どうぞ中に」
と言って、居間へ案内してくれた。
しばらくして戻ってきた宏子さんが、
「これ、見せたっけ?」
と言って、袋いっぱいに詰まった和綿を取り出してくれた。宏子さんは、和綿から布を織る機織職人だ。知り合いから種を譲り受けて以来、もう40年ほど栽培を続けていて、工房で作るものにはすべてこの和綿を使っているのだそうだ。
和綿は、明治以前には日本の各地で栽培されていた。しかし繊維が短く、機械で加工するには向いていなかった。そのため産業革命以後は、より長く均一な繊維をもつ洋綿が主流となり、和綿は時代に合わないものとして姿を消していった。
短く太くてやわらかく、弾力のある和綿の繊維は、染まりやすく、空気をよく含む。江戸時代の藍染めの色の出が良いのは、和綿でできた布だからなのだと教えてくれた。
「和綿は、機械には向かないけれど、人の手には合うんですよ。これが今の私の宝物」
摘み取った和綿は、まず綿繰り機にかけて綿と種を丁寧に分ける。それでもなお、綿にはまだ少し種のくずや葉の切れ端が残っているため、今度はそれらを手でひとつずつ取り除いていく。それから綿打ちに出して綿毛をほぐし、糸車を使って繊維に撚りをかけ、糸にする。その糸を織れば、布になる。
「役に立たない」、「時代に合わない」として脇へ追いやられてきたものが、もう一度人の手を通し、別のかたちで息を吹き返す。全ての命に尊厳を払う静かな営みの中に、はぐれ雲工房が守り続けてきた思想が、たしかに宿っているように思えた。






コメント