「トリスタンとイゾルデ」
異界から来たヒーラー「イゾルデ」
―「治癒のトポス」としてのアイルランド―
鶴岡真弓
◆永劫回帰の「治癒の力」―はじめに
神話伝説は、ファンタジーではなく、過去の遺物でもない。
どの文化でも、語りつがれ記されてた神話伝説は、「空想」ではなく、「現実」を母胎として生まれてきた。
ミソロジー(神話)の親は、リアリティ(現実)である。
それは天地の始まりを詠いながら、人間の切実な、やむにやまれない、生命の循環への願いを綴った物語である。
物語の種は、文化が培われた土壌にひそんでいる。それが発芽し、成長し、生命そのものを押し上げる、いわば永劫回帰する動力として描き出され、人々を支えてきた。現代の芸術、あらゆる表現が、そうであるように、である。
ひとつの文化・芸術・表現としての物語は、人の世、社会、共同体には栄枯盛衰があっても、逞しく、異文化と触れたときも、消滅させられるのとは逆に、生き延びていくという奇跡を生んできた。本来、慣習や制度などを異にする、異文化同士は、対立するのではなく、まして戦争で血を流すのではなく、有難い接触と交叉から生まれる「摩擦」こそを、文化受容の発火点として、更にお互いに研磨して魅力を増すということを、私たちは深く知らされている。
ケルト神話も、自然界、想像界、人間界、この世、あの世に起こる出来事を、清濁、生死のあいだのを最大の振れ幅を持つ振り子として観察し、物語ってきた。
アイルランドやウェールズなどに伝わるケルトの神話伝説は、口承伝承と、中世キリスト教の修道士たちや世俗の学者が写本に記した文字によって今日に伝わっている。「異教感」満載の不思議が次ぎ次ぎと起こるストーリーや構造は、図らずも、キリスト教の修道士たちにとって、一つの真理の教えとは「異なるもの」にこそに、得も言われぬ魅力があったことを物語っている。上からの教義・教条の傍らで、摩訶不思議な物語が豊富に語り継次がれてきたゆえんである
伝統社会の体温を湛える土壌に呼吸し続けてきた物語には、たとえ死や暗黒の出来事を語っていようとも、あのカラヴァッジョの艶ある黒色のように、活き活きとした生命力を滲ませ、迷宮のように魅惑的で豊饒の形式を具えている。
さて今回取り上げる「トリスタンとイゾルデ」は、「愛の死」の伝説として、中世の時代から今日まで世界中の人々を魅了してきた。あまりにも有名なワグナーの楽劇は、大団円で究極の「愛の死」が歌い上げられる。
しかし私たちは、「イゾルデ」を、トリスタンから愛された恋人・王女・姫ではなく、トリスタンにとっての「治癒者/ヒーラー」であった側面を深掘堀りし、かつイゾルデがヨーロッパの極みの「島」国の「アイルランド」という「特別のトポス(場所)から女性」であることに光を当てよう。
即ち「トリスタンとイゾルデ」を、激しく悲劇的な「愛の死」の物語としてよりも、その大前提にある永劫回帰の「治癒物語」として読み解くという、チャレンジを試みたい。
【今回=前半】はアイルランドの姫「イゾルデ」から入り、【次回=後半】では、彼女もそのひとりであろう、様々な妖術を奮う「湖の乙女たち」を取り上げるゆえんである。
「トリスタンとイゾルデ」の「イゾルデ」も、「湖の乙女たち」も、物語を通じて、私たちの「昏迷の今」にこそ、舞い降りてくれる存在なのではないだろうか。「世紀を超えて」ゆく神話伝説こそは、現代人の愚行によって潰消し去られるどころか、私たちのもとに回帰する、最後の「知財」であるからである。
【イゾルデの治癒力-異界としてのアイルランド】
◆「トリスタンとイゾルデ」- 世界に流布した「愛の死」
騎士と王女の愛の逃避行は、永遠に人びとの心を熱くするテーマである。
しかもここに登場する物語は、読者のみなさんならよく知っている、「老人(老いた王)」、「若き娘(王女・のちに妃)」、「若者(騎士)」という3者の三角関係の恋愛劇として、世俗にも流布して生きたものである。しかしそれは三角関係劇の枠を破り、「愛の死」のテーマが、普遍的な「救済」や「治癒」の知と行動のフィロソフィーとして、深く掘り下げられているのが、この「トリスタンとイゾルデ」の特徴である。
アイルランドの王女で後にコーンウォール王の妃となる「イゾルデ」と、コーンウォールの騎士「トリスタン」の「悲恋」は、アイルランドに伝わる、中世版の「ロミオとジュリエット」として知られる「ディアムッドとグラーニャ」の要素を引き継いでいるといわれる(後述)。
19世紀末にはリヒャルト・ワグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』(初演:1865年6月10日 バイエルン宮廷歌劇場)で歌い上げられ、今日まで多くの映画や演劇のテーマにもなってきた。
フランスの詩人ジャン・コクトーの脚本、当代きっての男優ジャン・マレー主演で映画化された『悲恋』(1943年)は、日本でも戦後すぐ(1948年)に公開され、幾多の舞台やアニメなど、今日まで、世界中の人々の心を掴んでいる物語である。
お膝元のケルト文化圏のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、マン島、フランス側のブルターニュでは、19世紀末から20世紀前半、「ケルト・リヴァイヴァル」のムーヴメントが興った時、スコットランド出身のジョン・ダンカンは、「船上で媚薬を飲みほすシーン」を見事に印象的に描いたことで知られる(図❶ ダンカン「トリスタンとイゾルデ」1912年 エジンバラ市立美術館&アート・ギャラリー蔵)。https://www.wikiart.org/en/john-duncan/tristan-and-isolde-1912
フレスコ画のような色彩美に、ケルトの考古・美術のリアルな出土物(イゾルデの後ろの金工品の文様)や、ジャポニスムの要素(トリスタンの衣は日本の歌舞伎の衣装)が散りばめられ、当時リヴァイヴァルして再話でも出版された、ケルト伝説の様々なシンボルやキャラクター(海を泳いで先導する海豹などは海豹(セルキー)伝説からのもの)などを背景に、「トリスタンとイゾルデ」の決定的瞬間を、最大限に魅力的に絵画化し、今日、関連本の表紙などを飾るほど流布している作品である。
◆トリスタンとは誰か
さてこのようにケルトの伝説のなかでも極めてポピュラーな「トリスタンとイゾルデ」(「トリスタン物語」)は、中世12世紀のフランスで、韻文で流布し、12世紀の末にはドイツにも伝えられ、更に13世紀、フランスで書かれた散文のトリスタンが、アーサー王物語に組み入れられた。トリスタンはランスロットにも並ぶ円卓の騎士の一人としても描かれた。
「トリスタンとイゾルデ」には異本が多いことは、当時からの人気のほどを物語っている。トリスタンは一説ではスコットランドにいたケルト系のピクト人であるともいわれ、父親はブリタニア北部のライオネスの人であり、トリスタンが生まれる時には、父も母も亡くなった。ゆえに「悲しみの子=トリスタン」と名付けられたという。
しかし長じてトリスタンは、ブリタニア南西部のケルト文化圏「コーンウォール」のマルク王の甥として、文武両道の騎士となる。
「トリスタンとイゾルデ」の物語は、ピクト人の伝承から、コーンウォール、ブルターニュを経て、ヨーロッパ大陸のフランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏にも流布した。
写本として、宮廷本(風雅体本、騎士道本)と、世俗に伝わった流布本(俗伝本)の二系統があり、宮廷本系には、12世紀の宮廷恋愛(貴婦人への愛と忠誠)の理想が反映され、トルバドールが歌い楽しまれた。流布本ではドイツのアイルハルト(1170年頃 ・1185年頃:写本断片)、ベルール(フランス西北部、ノルマンディー方言:1189年頃)、宮廷本ではフランスのトマ(アングロ=ノルマン語。1170 - 75年頃)、またドイツの詩人ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク (トマを底本に1210年頃。未完)、他「狂えるトリスタン」があり、竪琴奏者としてのトリスタンも挿絵をしばしば飾ってきた。
中世からルネサンスまで幾世紀にもわたりこの物語が如何に人々の心を掴んできたかは、このように豪華な写本挿絵からもよくわかる。この物語は現代でいえば巨額を投じて制作する映画やアニメに匹敵する中世の芸術に、ロマンティックなエンターテインメントとしてのみならず、愛と死をめぐる普遍的なテーマを提供し続けたと評されてきた(図❷「船の上でチェスをして媚薬を飲み干すトリスタンとイゾルデ」 写本『ライオネスのトリスタン』1470 年 フランス国立図書館蔵)。
物語に入ろう。
◆トリスタンの活躍と負傷
時は初期中世、ブリテン諸島西部のケルト語文化圏では、アイルランド人の勢力が未だ強く、対岸のコーンウォールに貢物を要求し続けていた。この対立のなかで、コーンウォールのマルク王の甥トリスタンは、敵のアイルランドの大男の騎士モルオルト(アイルランド王妃の弟で、イゾルデの叔父)に挑み、これを倒したのであった。が、トリスタン自身も深い傷を負った。
彼は瀕死のまま海に彷徨(さまよ)い出て、アイルランドに漂着し、出自・身分を隠して(タントリスとういう偽名を名乗り通し)、「どんな毒でも取り除ける」アイルランド王妃イゾルデ(主人公イゾルデの母:娘と同名)に預けられ回復し、コーンウォールに戻ることができた。
そうするうちマルク王はツバメが運んでいた「金髪」の主である女性を妻とすることに決め、それがアイルランドのイゾルデ姫のものであることを見抜いたトリスタンは、マルク王の許嫁を連れてくる使命を帯びて再びアイルランドへ赴く。
時あたかもアイルランド人を苦しめていたドラゴンを退治できる勇者には、王女イゾルデを娶(めと)らせるという、おふれが出ており、トリスタンは見事、ドラゴンを倒した(図❸ ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク写本「ドラゴンの死」 挿絵 1210年頃 ミュンヘン バイエルン州立図書館蔵)。
しかしトリスタンはここでも深手を負った。瀕死で横たわっていたトリスタンを見つけ出し、傷を治したのは、他でもない王女イゾルデだった。
イゾルデはこの負傷者が、かつて自分の叔父を殺した敵、コーンウォールの騎士だと知ったが懸命に介抱した。
そしてイゾルデは父王の決定に従い、マルク王の妃となることを受け入れ、トリスタンと共に乗船しコーンウォールへと出発する。
しかしトリスタンとイゾルデは、コーンウォールへと向かう船上で、イゾルデの母が用意した初夜の為の「媚薬(ラブ・ポーション)」を、それと知らぬ侍女から渡され、飲み干してしまう。
互いに惹かれ合い、そのままイゾルデはマルク王の妃となれども、(からくも召使いを同衾させて)王を拒み、トリスタンと逢瀬を重ね、遂にマルク王が放ったつ死の追っ手に追われる逃避行が始まり、森を彷徨う。
しかし最後にイゾルデは耐えかねて結局マルク王の元に戻り、トリスタンはブルターニュに追放される。
結末は、騎士トリスタンがブルターニュで瀕死となった時、イゾルデが船で駆けつけるが、ブルターニュ王の娘で、トリスタンの妻となっていた「白い手のイゾルデ(イズー)」が嫉妬によって虚をついたためにトリスタンは息絶える。
沖合に見えてきた船は、イゾルデが乗っていれば「白い帆」を掲げているはずだが、船は「黒い帆」を揚げている、イゾルデは乗っていないとトリスタンに伝え、トリスタンは力尽きた。そこに駆けつけたイゾルデもまた哀しみの余り胸が張り裂け、折り重なるようにして息を引き取る。
ワグナーの楽劇では、イゾルデが歌い上げる「愛の死」に、現代の聴衆の誰もが涙する「最期」である。
ではなにゆえに、この物語は、千年を超えて、人々の心を掴んできたのだろうか。もちろん、この若き男女が求め合う「愛」そして「死」のテーマゆえに、であるだろう。
しかし、「トリスタンとイゾルデ」とは、本当に、愛し合った若き男女の逃避行の末の「愛の死」だけが物語られている物語なのだろうか。そうではなく「愛」と「死」の間に、危うく揺れる(私たちの)「生」を支え続ける何ものかが、主題の深層に横たわっているのではないのだろうか。
◆トリスタンの「負傷」とイゾルデの「治癒」の文脈
ここで、もう一度、物語のポイントを振り返ってみよう。
二人が運命の「媚薬」を飲んでしまう船上での決定的出来事は、当然要だが、前半のこの要に至るまでにおいて「トリスタンの生命」が持続するためには、「イゾルデ」と、彼女の出自である「アイルランド」側の或る力が、トリスタンにもたらした奇跡無しには、そもそもこの物語は成立しない。
即ち、傷ついたトリスタン(普遍的には「負傷者としての私たち人間」を暗喩するともいえる)を、「アイルランドに於いてイゾルデが、如何に手厚く救命し、介抱し治癒したか」が、物語のはじまりに打ち込まれている。
しかもそれは「母娘(ダブル)のイゾルデ」によっておこなわれるのである。
◆「ダブル」のイゾルデの力
物語において、アイルランドに乗り込んできた、敵国の騎士トリスタンを、イゾルデの母と、娘のイゾルデ自身が救う。母娘であり同名である「2人(ダブル)のイゾルデ」は、アイルランドをイゾルデとトリスタンが離れるまでに、2度もトリスタンを救命し、治癒し、トリスタンは一命を取り留めることができた。皮肉にも「媚薬」のアクシデントがトリスタンの運命を変えることになるが、それによってトリスタンは、イゾルデの魂の愛の最も近くにいられる騎士となった。
即ち、その救命の契機は3度あり、
①トリスタンは、敵対するアイルランドの大男(実はイゾルデの叔父 )と戦い、勝利するが、深手を負い、海に出て彷徨(さまよ)い、なぜかコーンウォールではなく「対岸のアイルランド」に行き着き、そこでアイルランド王妃イゾルデ(娘イゾルデと同名)の、妖術のような圧倒的治癒力のお陰で、回復し、コーンウォールに帰還できた。
②そして再び、マルク王の命令に従い、トリスタンはアイルランドに赴き、「ドラゴン退治」で瀕死となるが、今度は王女イゾルデのお陰で治療を施され、生き返る。(そしてマルク王の妻となるイゾルデ姫をコーンウォールに連れて帰ることになる。)
コーンウォールでは、彼ら二人が、マルク王に潔白を証するために、イゾルデは、様々な知恵を発揮した。
③トリスタンの最期:ブルターニュで瀕死となったとき、イゾルデは、彼を救うべく、コーンウォールから船に乗りブルターニュへと向かった。
ただし、この3回目の介抱は、叶わなかった。妻となっていた「白い手のイゾルデ」(ブルターニュの王ホエルの娘)が嘘をつき、コーンウォールからの船に、「黒い帆」が掲げられている(イゾルデは乗っていない)と、息絶え絶えのトリスタンに言い放ったからであった。しかしイゾルデは、トリスタンの遺骸に覆いかぶさり、死して、自分の命を彼に注いだ。
このように、「イゾルデ」という女性は、トリスタンの前に、「ヒーラー/治癒者」として現れる。
「イゾルデとは何者か?」と問うなら、その答えは、トリスタンにとって、恋人であるに留まらず、常に(トリスタンに象徴される、普遍的な)「負傷者である人間」を「救済に駆けつける治癒者」である、といえないだろうか。
ワグナーの楽劇では、死す前の最期のイゾルデの歌「愛の死」は、「ロ短調」で奏でられ、目の前で果てているトリスタンの悲しみを分有し、極めて宗教的に聖母マリアの被昇天(アセンション)のような荘厳さを表出しているといわれる。それほどにイゾルデというキャラクターは、この物語において、トリスタンにとって、熱く恋慕される恋人である以上に、地上の「有限の生」を慰め、それを突き抜ける、天上的な聖母的「治癒力」を持つ存在である。それをワグナーも大団円で表現し尽くしたといえる。イゾルデは、うら若いアイルランドの姫君の姿からは想像できない、大いなる「癒し」の秘術を持っていた。
前述したとおり物語のはじまり早々、コーンウォールを守るため、トリスタンが一騎打ちで打ち負かしたモルオルトの剣には毒が塗られていたために、トリスタンは重傷を負い瀕死となり、この傷を治療できるのは、「アイルランドのイゾルテ」のみであった。
この大役を引き受け、トリスタンを助けた「イゾルデ」とは、物語によって、王女(娘)のイゾルデ、あるいは王妃(母)のイゾルデとなっている。そのいずれでも、この「特別の能力」について重要なことを、物語は次の3つによって強調している。
① コーンウォールから見て、西の彼方にある島「アイルランド」の気高い血筋の姫たち=「女性」にしか、トリスタンの傷を治すことはできないこと。
② またその力は「母娘」 (2人は「ダブル=重層的存在」である) のどちらのイゾルデにもあること。(最初の傷を母親である王妃が治したヴァージョンで話を進めると、モルオルトから受けた深傷を抱えてアイルランドに漂着したトリスタンを、まずイゾルデの母が癒した。そして再びアイルランドに渡ってドラゴン退治で瀕死となったトリスタンを、今度は娘イゾルデが、叔父を殺した敵の騎士であることを知りながら介抱した。また母イゾルデは、身心に心地よさを与える妙薬をつくる能力も兼ね備えていたらしい。嫁として娶るマルク王と娘イゾルデの初夜のために、「媚薬」をつくった。しかしそれは図(はか)らずもトリスタンとイゾルデを分かちがたく結びつける媚薬となり、2人の運命を決定する。)
③ 即ちこれらの「秘術」は(コーンウォールという此方ではなく)「アイルランド」という島国の女(たち)に可能なものであった。
このように「トリスタンとイゾルデ」という伝説の大前提に、アイルランドの王妃と王女という「ダブル」のイゾルデのプレゼンス(現れ・顕在・登場)があり、彼女らは共に「治癒者」であり、愛の媚薬は、「パッション(「情熱」にして「受難」)」を、2人に与えた。娘イゾルデは、妙薬の製造者としての母イゾルデの後ろ盾を持ち「この世ならぬ妙薬や治療法」の術の継承者であることを、生まれながらに背負っていたのかも知れない。
加えて、イゾルデが、特別の「金髪」の女性であることは、更に意味深い。
マルク王自身が妃として「金髪」の女性を娶(めと)るには、この女性しかいないとして、トリスタンに命じ、アイルランドに迎えに行かせる動機。ここには「錬金術」を暗示する「黄金=金髪」のシンボリズムが披歴されている。
「黄金」とは、「腐食しない生命」の象徴であり実体であった。ヨーロッパの「錬金術」の歴史は、限りなく腐食しない=永遠の生命を生み出そうとする医学、医薬の探求から始められた。それはマルク王にとって、自身と王国と領民を守る、生命守護の「黄金」である。
マルク王が望んだ、光輝く女性、「金髪のイゾルデ」は、人間、騎士に「愛」を以って「生命」をもたらす錬金術とのアナロジーで登場する特別の女性であり、生命守護の「治癒者」を暗示している。
◆「救済の行動」と「妹(いも)の力」
さて、このように「トリスタンとイゾルデ」の物語は、文学でも楽劇でも一般にそう思われ鑑賞される、男女の熱烈な恋情とその悲劇、即ち「愛の死」が主題とされている。しかし既に冒頭に述べたように、この情熱的にして悲しみに溢れる物語の大前提には、「治癒」の「秘術」が、はたらいたという深層が畳み込まれていると考えてみよう。
女性(姫たち)が男性(騎士)に向ける、支援の強力なはたらき。その側面から比較できるのが、「トリスタンとイゾルデ」成立の原型のひとつといわれるアイルランドの伝説「ディアムッドとグラーニャ」(10世紀頃成立)である。(この物語は19世紀後半=20世紀前半の「アイルランド文芸復興」のムーヴメントにおいて、ジョージ・ムーアが小説化し戯曲の上演にW・B・イェイツが協力してイングリッシュ・シェイクスピアン・カンパニーがダブリンのゲイティ・シアターで初演し好評を得て一般にも広まった、同じく三角関係から発する騎士と姫君の逃避行の物語である。)
「ディアムッドとグラーニャ」でも、決定的運命は「女性の側から」のはたらきが因子となっている。しかし女性(グラーニャ)の秘術は過剰に強力で、いわば一種のシャーマニスティックな原始性を帯び、支援よりも「牽引力」が優っている。
首領フィン・マックールの妻となるはずだったグラーニャ(コーマック王の娘)は、自らの婚礼の宴会で、美しい騎士ディアムッドを見初め、大胆にも自分から二人で出奔することを望み、宴の人々全員を「魔法で眠らせる」。騎士ディアムッドには彼女の意のままに従うように「禁忌(ゲシュ)」を掛ける。それによって二人はフィンの婚礼の宴から飛び出し、アイルランド中を舞台に逃避行を展開する。
ところがその結末で、騎士の救命に臨んでは、グラーニャは無力であった。不運にも騎士ディアムッドが「猪を狩ってはならない」という禁忌にも反してしまい、猪に倒され瀕死となって死ぬ。(それとは反対に、ひとつのヴァージョンでは、グラーニャの方は生き残りフィンの妻に納まる・・・。)
重要なことに、物語の最後、ディアムッドを「癒し救命することのできる」人間は、実はグラーニャではなく、ふたりの敵、しかしやがて2人を赦す老首領のフィンであるところが、「トリスタンとイゾルデ」と大きく異なる。フィンは「命を救える水」を、ディアムッドの口まで運べる能力をもっていたのだ。が、3度それに失敗し、哀れディアムッドは息を引き取るのである。
一方、「トリスタンとイゾルデ」では、騎士が女性側のはたらきによって宿命を変えられたという動機は同じでも、知らずに「媚薬」を飲み干すという最大の出来事が起こる前、瀕死のトリスタンは2度も、イゾルデ側(母と娘)の治癒によって「蘇生」しているところが大いに違う。また根本的に、「トリスタンとイゾルデ」での女性の力は、グラーニャのそれのように「支配の秘術」ではなく、「救済の行動」として作用しているところが異なる。
そして最も異なるのは(以下で詳しく述べる)、騎士に対してそうしたはたらきかけをする王族の女性が、「トリスタンとイゾルデ」の伝説では、騎士にとって「異国の王女」であることである。
アイルランドのイゾルデは、トリスタンはコーンウォールの騎士、明らかな「敵」であったにもかかわらず、トリスタンを介抱した。「秘術」は、その使い手によって、生死も分ける。「イゾルデ」の力は、日本でも古来そう呼ばれてきた、男性を陰ながら助ける原初的な「妹(いも)の力」ともいえる。現世の制度や掟の隙間をくぐっても、困難に陥っている男性を、「異なる場所」から「異なる力」を発揮して助けようとする女性の力である。トリスタンのように絶体絶命の状況にこそ、それは最大の力を発揮する。
逆にいえば、トリスタンは、宿命として、ここではない、敵国のアイルランドに乗り込んで、ドラゴンを倒し瀕死となった。その異なる場所で、愛をもって、異国のイゾルデから親身の治癒を施してもらえた。その前に起こったトリスタンの最初の深手も、アイルランドの王妃イゾルデの弟である巨漢の騎士との一騎打ちで被ったものであったが、それを治癒したのは、コーンウォールの人々ではなく、アイルランドの王妃イゾルデであった。
このように、物語のはじまりと前半における、騎士と女性たちの因果は、「死(傷)」―「彷徨」―「異国(敵国)」―「愛の治癒」―「再生」のコンテキストにおいて特別のものである。物語の「最初と前半」に、瀕死のトリスタンがその介抱によって蘇生する「再生の循環」が、複数回反復され、その後の愛の逃避行での生命のサーフの展開と構造を暗示する物語であると考えられないだろうか。
即ち「トリスタンとイゾルデ」の主題は、「愛が死ぬ」という「結末」に轟くのではなく、騎士の「瀕死の負傷」、それへの「奇跡的な治癒行為」、そして一命をとりとめて「再生する」、というドラマが、物語のはじまりと、その後の物語全編に光を与えて、トリスタンとイゾルデの「命」はサーフするように護られて進行する。
つまり「アイルランドにおけるイゾルデによるトリスタンの治癒と再生」という物語の「はじまり」の要素は、この後から結末までの、すべてのエピソードに循環していく。この伝説は、一般に主題と考えられてきた「愛の死」を超えゆく、「死傷~治癒~再生の循環物語」であるといえるのではないだろうか。
イゾルデのトリスタンへの「愛」は、私を愛してという「利己の欲望(欲情)」である以前に、あなたを愛する=介抱せずにはいられないという「利他の愛」が、主題として鳴り響いている。
◆彼方来る治癒者
ではなぜこの物語を生んだ語り手たちや書き手たちは、このような「死傷~治癒~再生の循環」の物語をつくることができたのだろうか、といえば、これは単独に一朝一夕にできあがった物語ではなく、ここに至るまで、アイルランドやコーンウォールなどのケルト語の文化圏に記憶されてきた「治癒者は彼方からくる」、そして死者が永遠に生きられる「常若の国が必ず彼方にある」という想像力と信心が、根源的に保たれてきたからではないだろうか。
その文脈では、「イゾルデ」は、ケルト神話で躍動する「湖の乙女(妖精)」たちの特質を、備える女性である。
瀕死のアーサー王の傷を癒しに、常若の島「アヴァロン」から迎えに来るモルガン・ル・フェが、その代表格として、直ちに思い浮かべられるのではないだろうか(図❹ アーチャー「アーサーの死」1860年)。https://en.wikipedia.org/wiki/Morgan_le_Fay#/media/File:Detail_of_The_Death_of_King_Arthur_by_James_Archer_(1860).png
モルガンはアーサーにとって姉であり、アヴァロンに誘う、唯一無二の治癒者となった。イゾルデは、モルガンのような妖精ではないが、この女性たちは、負傷者(騎士や英雄)が倒れている場所に、「ここではない何処か」、即ち「異なる世界」から急行し、「駆けつける治癒者」として同じ使命をもっている。
いかにも「不死の島・アヴァロン」から駆けつけた「モリガン」同様に、「イゾルデ」も(トリスタンにとっての)「現世=限界」の「外」からやってくる存在である。イゾルデは、瀕死のトリスタンにとって、限りある現在、いまここ、という「限界の外」からやってくる。こちらからみての境界の「彼方」、「外部」から訪れる女性である。
そもそも「トリスタンとイゾルデ」は、コーンウォールとアイルランドを隔てる「海」を挟んで、展開する物語である。アイリッシュ海の向こう、大西洋の波に洗われる「アイルランド」」は、トリスタンやマルク王の所領である「コーンウォール」からみれば、イゾルデの国はブリタニアの「彼方」にあった(図❺ アイルランド島とイギリス本島の地図)。https://commons.wikimedia.org/wiki/File:1852_Vuillemin_Map_of_the_British_Isles_%28England,_Ireland,_Scotland%29_-_Geographicus_-_BritishIsles-vuillemin-1852.jpg
いいかえればこの地勢(と地政)を背景とする「トリスタンとイゾルデ」は、「アイルランド」と「コーンウォール」の対立と戦いから始まる物語であるが、しかしそれは、現世の力関係を示す地政学の素材ではないということである。トリスタンやマルク王にとって、「イゾルデという治癒者」がそこからやってくる島、「彼方」=「異国」=「異界」であるというモティーフとして、「アイルランド」という「トポス(場所)」の意味が、物語の深層に象嵌されている伝説だったと考えてみることが、できるのではないだろうか。
「戦い」を描くのではなく、対立的な「異国」、つまり己たちとは慣習も立法も気質も異なるだろう「異世界」からこそ、「愛と救済」がもたらされるという「黄金の逆説」が、「トリスタンとイゾルデ」には語られている。
◆異界としてのアイルランド―学僧の書いたトポグラフィー(地誌)
「トリスタンとイゾルデ」の物語が、イギリスとヨーロッパ大陸に華やかに広がっていった12世紀という時代、イギリス本島からみたアイルランドは、ノルマン人に征服されたウェールズ(カンブリア)と、アングロ=サクソン人のイングランドからみて、魅惑と奇異さを併せ持つ「異界」であることは、12世紀のウェールズからアイルランドを訪れ、各地を旅した学僧ギラルドゥス・カンブレンシスの『アイルランド地誌 Topographia Hibernica』(1188年:有光秀行訳 青土社)にしたためられている。
そこには人間ならぬ姿の人間がいて、言葉をしゃべる狼がいる。鳥が生えてくる樹木がある(図❻「2人の善良な狼男に出会い、交流する司祭」 &「鳥が生える樹木」 『アイルランド地誌』より)。https://commons.wikimedia.org/wiki/File:From_Topographia_Hibernica_British_Library_MS_13_B_VIII.jpg
図❻
一方、芸術表現において、アイルランドには、ギラルドゥスのような高僧でもイングランドやウェールズでは耳にしたことのない妙なる音楽奏法の伝統があることに驚嘆したことが記されている。また有名なくだりでは『ケルズの書』と見紛う美麗なる聖書の写本を、キルデアで目撃したことも記されている。帰国後ギラルドゥスはその逐一を王に報告した(本連載:第2回を参照のこと)。
更に『アイルランド地誌』で極めて重要な「報告」の一つは、「ケルト系ブリトン人の歴史」と「アーサー王物語」に関連するものである。
イングランド南部のソールズベリー平原に忽然と建っている「ストーンヘンジ」の「石」は、アイルランドの現ダブリンから南へ向かう聖地「キルデア」の野にあると記している(『アイルランド地誌』第二部18章)。これは、この巨石は「巨人」たちがアフリカの果てからアイルランドに運び入れ、それをアーサー王に仕えた予言者マーリン(メルラン)がアイルランドからイングランドのソールズベリーに運んだという伝承に繋がる。
かように、ギラルドゥスの12世紀の旅行記であるこの「地誌」は、アイルランドについて、興味深い実体験と空想が盛り込まれている貴重な著作であり、魅力的である。
そしてここで私たちは気づく。そう、このギラルドゥスの『アイルランド地誌』が書かれた12世紀末は、正に私たちがここまで追ってきた「トリスタンとイゾルデ」の物語が、ブリテン諸島とヨーロッパ大陸に広がっていった、ほぼ同時代だったということを。
ヨーロッパにおける「トリスタンとイゾルデ」の代表作が各国語のヴァージョンでこの12世紀に生まれていったことは既述した通りである。博識の学僧ギラルドゥスも、「アイルランド」に特に関わるこの「トリスタンとイゾルデ」の物語を知っていただろう。
だが現実のアイルランドにとっては、12世紀後半は、この伝説の広まりとは裏腹に受難の始まりであった。イギリス本島へのノルマン人の征服(1066年)が、アイルランドも及び、アングロ=サクソン人に支配されていくのである。しかし「アイルランド」はギラルドゥスたちウェールズ人にとっても、その報告を受ける支配者の王にとっても、大西洋に浮かぶ西の極みの「島」には、何か彼らが力ずくでは征服できない「未知のもの」が遺されている、神秘の島=場所(トポス)であると考えられたのではないだろうか。
少なくとも、物語のなかの騎士トリスタンにとって、アイルランドは「異国」以上の「異界」であった。「異界」とはこの世ならぬものが生きており、この世ならぬものがある場所である。アイルランドでトリスタンの偉業の第一は「ドラゴン退治」であった。そして同時に、負傷しても、アイルランドの王妃イゾルデと王女イゾルデの「治癒力」によって生還できた「常若の国」だった。
このようにトリスタンにとって、明らかに、アイルランド、即ちイゾルデの生地は、「治癒と再生をもたらす別世界」であっただろう。
アイルランドがブリタニア本島からみて「別世界」であり、そこから「治癒」や「鎮魂」が到来するという中世の観念や信仰は、ケルト神話を代表する「アーサー王」の物語にも打ち込まれている。
今日誰もが知っているイギリス南部のソールズベリー平原にそそり立つ「ストーンヘンジ」は、その魔法によってユーサー・ペンドラゴンが憧れの妃と結ばれる思いを遂げさせ、息子アーサーを誕生させた「予言者マーリン」の秘術によって建設されたのだった(図❼ 左図:ストーンヘンジ)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Stonehenge#/media/File:Stonehenge2007_07_30.jpg (右図:「巨人とマーリンによる建設」『ブリュ物語』写本より 14世紀 大英図書館蔵)https://en.wikipedia.org/wiki/Stonehenge#/media/File:BLEgerton3028Fol30rStonehengeCropped.jpg
図❼
即ちその動機は、ウェールズの悪しきヴォーティガンの、善き弟オーレリアン・アンブローズ(アンブロシウス・アウレリアヌス)と(アーサー王の父となる)ユーサーの軍勢がヴォーデイガンに勝利することを、マーリンは予言し、弟オーレリアンが新たなブリテン王となり、「戦勝碑」を建てることになる。そこでマーリンは、アイルランドのキララウス山には、かつてアフリカから運ばれてきた環状列石「巨人の舞踏(ジャイアンツ・ラウンド)」があると告げた。早速ユーサーは15000人の兵隊を指揮して運ばせようとしたが重すぎたので、マーリン自身がアイルランドへ飛んで、その魔法でソールズベリー平原まで運んだものであった。それが今日の「ストーンヘンジ」である。そしてユーサーが亡くなったとき、この巨石の下に葬られ、鎮魂されたという。
古代ローマ人はアイルランドをヒベルニア(冬の国)と呼び、ブリタニアには侵攻したがそこには到達できなかった。ブリタニアとヒベルニアを隔てる「アイリッシュ海」は、まさにトリスタンとマルク王の「此方=この世」のコーンウォールからみて「彼方=あの世」との「境界の海」であった。その海上であればこそ、トリスタンとイゾルデに「媚薬」が作用した、してしまったと考えることもできるだろう。「境界」には「魔」が差す。「魔力」がはたらくのである。
それを用意したのが、アイルランドの王妃、イゾルデの母だったことは、忘れてはならない。
こうして13世紀までに流布し詠われ宮廷で楽しまれた「トリスタンとイゾルデ」の物語は、複数の異本によって細部にヴァリエーションがあるが、一貫しているのはトリスタンを助けようとするイゾルデの行動の速さ、篤さ、強さであって、この西の極みの島国の特質は、フランスやドイツの宮廷でも印象的なものとして味わわれていたことだろう。
(なおトリスタンの運命として、彼は流浪の末、ブルターニュの王の娘である「白い手のイゾルデ」と結婚したが、「白い手のイゾルデ」は、最終的に瀕死のトリスタンを治すことはできなかった。物語において、「ブルターニュのイゾルデ」との対比は、「アイルランドのイゾルデ」による、彼女の死と引き換えた、生命守護の力を、一層際立たせて終わる。)
いいかえればこの物語は、ヨーロッパにおける地勢・地誌・地政を背景として、人々の心に「アイルランドからやってくるイゾルデ」によってのみ可能であった呪力としての「治癒力」を、ケルト文化圏の「アイルランド」「コーンウォール」「ブルターニュ」の彼方と此方を舞台に、深く印象付けた伝説である。
古代においてケルトの神話伝説は、ヨーロッパ「大陸」から消えたが、正に「島」には保持され、その中世に再び諸国の人々が味わう時代をつくった。「島」は孤立していたのではなく、その謎めいた魅惑によって、ヨーロッパの人々から望まれ、憧憬されていたことを、「トリスタンとイゾルデ」の物語は力強く伝えている。
「トリスタンとイゾルデ」は、物語に象嵌される特別の「トポス」が読み解かれる時、人間たちの抱く「世界」観が、屏風絵のように開かれ、姿を現す、神話伝説の魅惑を教えている。
【次回「湖の乙女」につづく】
図版出典・参考文献
① ディレイニー『ケルトの神話伝説』鶴岡真弓訳 創元社 ② 鶴岡真弓対談集『ケルトの魂』 平凡社 ③ 鶴岡真弓『ケルトの想像力』 青土社 ④ ラング&ラング『ケルトの芸術と文明』 鶴岡真弓訳 創元社
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