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ケルト神話のキャラクターたち 癒しの秘術 第4回


聖ブリギッドの「火」と「水」

春の始まり「インボルク」祭の聖女/女神


鶴岡真弓



はじめに - 「春」の季節祭


2月は「浄めの月」

 大自然の息吹が回す「季節」には、人間や動植物に「佳き変容」をもたらすパワーが潜んでいると、古来人々は信じ、それを特別の「暦」に籠めてきた。

 ケルト文化において、最も大切な祭日は、「冬の始まり」10月31日の夜に訪れる「ハロウィン」の起源「サウィン(万霊節)」(連載:第3回参照)である。しかし暦は続き、春が来る。

 暗く厳しい冬を越えて訪れる「春の始まり」の2月1日。今回のテーマ「インボルク祭」である。


 古代人は、現代人がおよびもつかない、研ぎ澄まされた感性と知性で、季節の変化を読み取る能力を深く身に着けていた。だから冬の終り、春の兆しを待ち焦がれ、己たちの心とからだを「浄める月」を定めた。

 「2月」。異教時代にも、キリスト教の暦でも、それが「浄めと贖罪の月」とされたゆえんである。

そもそも英語の「2月=February=フェブラリー」の語源は、ラテン語の「浄化と贖罪の祭り=Febraria=フェブラリア」から来ている。それは古代ローマ人がおこなっていた祭りの名であった 。


 古代ローマ人に限らない。「2月」とは、日本でもヨーロッパでも北半球の伝統社会では、地上の人間、生物、生きとし生けるものにとって、「死の季節」から「いのちの季節」へ移行する月だ。日本では立春・節分が訪れる。島のケルト文化圏でも、厳しき闇を超えて早春へ向かい、いのちの芽吹きが目に見えてくる。羊の赤ちゃんが生まれ、自然の大回転に寄り添って、人間の心とからだも潔くリセットする時を迎える。即ち人々は、生命の直観によって、この季節に闇と穢れを祓い、浄めをおこなう「祭日」を定めたのだ。 

 しかしそれは、現代人が簡単に考えるワンクリックで機械的にリセットするものなかったことはいうまでもない。


 「2月」にしか訪れない祭りの真実。それはどのような思い、想像力、祈りから来たのか。

 今回は、まず前段で、この「月」の重要な「浄めの理由」の背景を学び、その上で、ケルトの祝日の主人公「ブリギッド」の読み解きに入ることにしよう。



カーニヴァルの真実 - 「肉断ち」への覚悟の祭り

 現代では毎年、2月の大イヴェントといえば、世界的に有名な「リオのカーニヴァル」を思い浮かべるかも知れない。大迫力のダンスとサンバ音楽。この「お祭り」こそは、「2月」を逃しては他にできない、実は篤い信仰に培われた「カオスの創造」だった(図❶ リオのカーニヴァル  https://en.wikipedia.org/wiki/Rio_Carnival#/media/File:Desfile_da_Escola_Vila_Isabel_2016_8.jpg)。

図❶

 北半球でも南半球でも、キリスト教が伝わった社会では、クリスマスと復活祭の間に、1年間で最も厳格な「四旬節(レント)」の暦がある。「四旬節」とは知られるように、イエス・キリストがサタンの誘惑に耐え、砂漠で断食した40 日間に倣い、人々が追体験し、身を浄める潔斎の期間を指している(図❷イワン・クラムスコイ「荒野のキリスト」1872年 https://en.wikipedia.org/wiki/Christ_in_the_Desert#/media/File:Christ_in_the_Wilderness_-_Ivan_Kramskoy_-_Google_Cultural_Institute.jpg)。

図❷

 仏陀も人間の欲を断って出立したように、イエス・キリストも悪魔の誘惑に屈せず荒野で40日間断食をした。しかし私たち生身の人間が、断食でこの期間を耐え忍ぶのはまことに厳しい。そこで教会の赦しによって、「四旬節/レント」の40日を過ごす直前、民間では「無礼講」が赦された。潔斎に入る前、「ご馳走」にありつき、その上で「肉を断つ」というのである。

 つまり「カーニヴァル/カルナヴァル」とは、手放しのどんちゃん騒ぎのためのフェスタではなく、ラテン語の語源からも分かるように、「肉(カルネ)断ち」の意である。人間の欲を断って、業を鎮め、潔斎に入る。その直前におこなわれる「覚悟の大騒ぎ」であったのだ。

 これが「カーニヴァル/謝肉祭」の起こりであり、2月中旬から3月初旬までにおこなわれる。

詳しくいえば「四旬節」の始まりは「灰の水曜日」と呼ばれる潔斎の第一日めがあり、その前夜までにおこなわれる世俗の祭りとしてカーニヴァルの最終日は、愉快に騒ぎ、たらふく食べることができる謝肉祭の最後の日の謂いで、フランス語では「マルディ・グラ(肥沃の火曜日)」と呼ばれてきた。その夜までにタマゴなどを、ひとつも残さず食べ尽くす意で「パンケーキ・デー」ともいわれるゆえんである。

 しかし同時に英語圏ではその日は「告解火曜日」「懺悔の火曜日」とも呼ばれ、厳粛なレントへの入り口を意識する。いかにもドイツ語圏では「謝肉祭」は「ファスナハト(断食の前夜 Fasnacht)」であって、ライン川沿いのケルン、マインツ、デュッセルドルフの祭りが有名で、「開放と禁忌」を併せ持つかのような仮装には、不気味さも漂う。

 したがって有名なフランドルの画家ブリューゲルの風刺画には、禁欲を求める右側のやせ細った「四旬節」の像が、「肉」をたらふく喰らい浮かれ騒ぐカオスの筆頭にいる、左側の太ったワイン樽に跨った「謝肉祭」の擬人像に対して応酬する「戦い」の構図となっているのである(図❸ ブリューゲル「四旬節と謝肉祭の闘い」1559年ウィーン美術史美術館蔵:前景部分 https://en.wikipedia.org/wiki/Carnival#/media/File:Pieter_Bruegel_d._%C3%84._066.jpg)。


図❸

 思えば、あれほどブラジルのカーニヴァルが「肉」感的なのは、極めて象徴的だ。祭りで爆発する人間の「肉体」が、生命をくれる食べ物の豊饒な「肉」の輝きと切り結すばれ、「生きとし生けるものの生命力」を、文字通り全面に踊り出させる。しかしそれゆえ、逆説的に、その後に待っている、肉絶ちへの「覚悟」が、これ以上ないほどに、アート化、演劇化しているといえよう。現代のリオのカーニヴァルをパワフルに盛り上げる旺盛な「肉と肉体」は、祭りのフィナーレの直後に「断たれる」のだから。南米ならではの文化とキリスト教信仰との融合において、それも「覚悟の謝肉祭」の伝統を負っている。

 いっぽう、ヨーロッパでは11世紀からおこなわれていたヴェネツィアのカーニヴァルも有名であって、そこにも覚悟がにじみ出る「装置」がある。東方交易で繁栄したヴェネツィアでは、富裕な貴族や商人が主役となり豪華な「仮装」が伝統となったが、彼ら彼女らは必ず「仮面」で登場する(図❹「ヴェネツィアのカーニヴァル仮面」https://en.wikipedia.org/wiki/Carnival#/media/File:Carnavalsmaskers_Veneti%C3%AB.JPG)。

図❹

 「仮面」は現代のAIよろしく「私のアバター」のように、祭りにおける「日常からの解放」を表現し、単に祭りにおいて外見をミステリアスに演出する小道具に留まるものではなかった。「仮面」とは「オペラ座の怪人」のあの「片方が割れたお面」のように、即「死から覗かれる生」と、「生から垣間見る死」という死生の交錯を表象しているからである。

 なぜなら、カーニヴァルとは、ヨーロッパでは、冬の終わりの2月に訪れるのは、サタンに抵抗しながら荒野で断食したイエス・キリストの「耐え忍び」、そして罪びととしてローマに捉えられ、茨の冠を被せられたその主の「哀しみ」、いっさいの人間の罪を贖うために、磔となった神の子の「受難」を、ありありと追体験する「四旬節」の始まりに置かれている祭りであるからである。

 日本ではバブルに浮かれた1980年代半ばにも、カトリック信仰が篤いヨーロッパの島国アイルランドでは、いよいよ明日から受難の四旬節の始まりとなる「灰の水曜日」には、額(ひたい)に「灰で十字」を描いた人の姿が街中でもみられた。

 信者の人々は、教会の前を通り過ぎる時、バスのなかからでも胸に十字を切って祈っていた。その光景を、80年代の初めにダブリン大学の留学生だった私も目撃した。2月のアイルランドの午後の空はどんよりと暗く、祈る人の面差しが、とても緊張している印象があったことは、今でも忘れられない。カトリックにとってイエス・キリストが断食の40日間を過ごした受難に思いを馳せ、己も茨の冠を被り、身を浄める。額に灰の十字架を背負うことによって、覚悟を決めているような面差しは、衝撃あった。

 さてこのように2月という冬の終わりの季節には、祭りを通して、ドラマティックに「無礼講」のカオス(渾沌)とエロス(生命)が、「受難」(苦と死)と「潔斎」(新生)に隣接し、クロスする。それはたとえ異教徒であっても現代世界を見舞った受難からみると、あらためていっそう特別の「暦」であると思える。「飽食」と「飢餓」の境い目を徴す四旬節によって、世界の平和を願い、「今ここ」を乗り越える手立てとして、それが「生きている暦=周期」であることに思いを致すのである。


◆冬を越える共同体

 さて、しかし、この季節に託された重要な「移行」は、以上の解釈の限りにおいては、キリスト教の信仰によった祭暦であり、キリストの「復活」の祝日から逆算しての必然の暦である。しかしそれ以前の歴史においても、「2月」を浄めの月とした、いにしえの人々の信仰と思想があった。その大いなる土台は、ひとつの宗教に限らず、より普遍的な、「人間と自然生命との関係」にあったことは、容易に想像できるだろう。

 「2月における潔斎」は古代ローマでもおこなわれていたし、現代のブラジルのカーニヴァルにもキリスト教信仰以前のベースがあった。それは「大自然が回す生命のカレンダー/サイクル」であった。即ち冬から春への「気象(気のかたち)の変化」が、人間に「浄め」の観念を促したという大土台があった。

 その証拠に、既述したキリスト教における断食敢行の期間の名称「四旬節」は、英語で「レント」と呼ばれるが、その語源は、西ゲルマン語の「langitinaz=長い日=1日の延長」を源の意味としており、「春」の「陽光の増加」を指している。またそれは西ゲルマン語であった古英語の「lencten=春」にも関係する語であって、「一日が陽光によって長くなる」の意味を孕んでいた。

 したがって英語の「day=日)」やラテン語の「dies=日」という「日」の語源じたい、徐々に日が長くなる幸福を地上にもたらす「春の陽光」と、根本で結びついていた。それは更にケルト語も含むインド=ヨーロッパ語の「 *dyeu- =輝く」に遡る言葉なのである。

 つまりキリスト教の「四旬節=レント」も、日に日に太陽が戻って来る春に向かう、「陽光の回復」が天のカランドリエ(カレンダー)によって約束されていたからこそ、人々はこの季節に、断食に耐えることができた。

 陽光=輝き=希望は、観念ではなく、大自然の生命の経めぐりが、季節を回していること、そしてこの悠々たる「節理」が揺るぎなくあることを、古代人は祈り、知っていた。地上の闇も、天によって克服されることを信じ、季節ごとに、希望の光をもらってきたのである。


 さて、このように、冬が春へと脱皮していく2月。ケルト文化圏には、キリスト教受容以前の慣わしと、キリスト教受容後の信仰が、見事に「習合した」祭暦が守られてきた。

 「春の始まり」、「2月1日」の「インボルク Imborc祭」である。それはケルト文化圏の「4つの季節祭」のひとつで、一番目の「冬の始まり」の「サウィン(ハロウィン)」の2か月後、二番目に来るのが、この「春の始まり」の祝日である。

 この日は、前述してきた四旬節前のカーニヴァルのカオスとは対照的に、ひとりの聖なる女性の慈愛が、ミルクとともに静かに大地に満ち、「浄めの月・2月」を連れて来ると信じられた。

 四旬節に先駆けて現れるこの「聖女にして大母神」である女性とは、いったい誰なのか? いざ、私たちはアイルランドに飛ぼう。巡礼者がその神秘に触れる「水」と「火」の聖地が待っている。

   

          

本論


◆「聖ブリギッド」とは誰か 

 「インボルク」の祭日は、冬至春分の日のほぼ中間にあたる「2月1日」に置かれ、ケルト文化伝統「の始まり」の日である。キリスト教徒にとっては、アイルランドの守護聖人のひとり「聖ブリギッドの祝日」として、特にアイルランドスコットランドマン島で祝われてきた。

 聖ブリギッド (451頃-525)は、「ゲールのマリア」と呼ばれ、アイルランドへの使徒・聖パトリックと、ケルト系キリスト教の修道院を創設した聖コルンバ(コルム・キレ)と共に、アイルランドの守護聖人であり、篤い崇敬を集めてきた。「ブリギッド」は古アイルランド語、現代アイルランド語では「ブリッド」、英語では「ブリジット」と呼ばれ、今日も愛らしい女の子の名前としても人気であり、家々の居間にもキッチンにも、その聖像や「聖ブリギッドの十字架」が飾られている(図❺「聖ブリギッド」ステンドグラス)。

図❺

 生まれはアイルランド北部、ラウス県ダンドーク。異教徒の長を父とし、母は聖パトリックが洗礼をしたピクト人(またはポルトガル人の奴隷の説も)といわれ、468年頃キリスト教徒となり、常に貧者へ施しを与える心の清い娘だったという。修道院に入り、ダブリン南西のキルデア県の都キルデアを拠点にアイルランド初の尼僧院を創設し、525年の2月1日頃 に当地で没したと聖人伝は記している。

 アイルランドばかりではなく、没後の6世紀後半には、アイルランド人伝道師の大陸布教がより盛んとなると、「ブリギッド」崇拝がヨーロッパ各地に広まり、ドイツ(聖ブリギッテ、ブリギット、ブリギッタ崇拝)、イタリア、フランス、ポルトガル、カナリア諸島、スカンディナヴィアにまで浸透した。

 さて、なるほどこのように聖ブリギッドは、キリスト教の聖女として今日まで絶大な崇敬を集めている。しかしこれから述べるように、その出自からして、彼女は異教の共同体を背景に生まれた人であり、数々の伝承から「異教とキリスト教をつなぐ」性格が浮き彫りになることが、祝日「インボルク祭」を訪ねるとき深く炙り出されてくる。


◆2月1日「インボルク祭」の名称と由来

 ブリギッドの聖地、キルデアにおいて、2月1日に「聖ブリジッドの祝日」が祝われていることは、7 世紀後半のコギトススによる聖ブリギッドについての聖人伝に記されている。しかしそれより数世紀前の戦士社会を描いた、英雄クー・フリンの活躍する『クーリーの牛争い』では、「インボルク」は、「サウィン」(11 月 1 日の前夜)の3か月後の祭日であることが示されていて、キリスト教受容以前の自然崇拝を反映させた、いわゆる「ケルトの季節祭」であった。

 異教の祭日であったことは「インボルク」という名称自体にも示されている。

 「インボルク(古アイルランド語 i mbolc 、現代アイルランド語 i mbolg ) 」の語は、「胎内」に関係するともいわれる。スノードロップが雪中に咲き、早春を待ち望むこの節に、初めての子羊が生まれるのだ。またフランスのケルト語学者ジョゼフ・ヴァンドリエ(1875-1960)は、古アイルランド語の動詞「folcaim (己を洗う/浄化する)」 に関連するとし、アイルランドにも古代ローマの祭典フェブラリアのような季節の「浄めの儀礼」があったとも推測している。

 またインド=ヨーロッパ語族の語源からは「ミルク/乳」と「クレンジング/浄化」の両方を意味するという説もある。アイルランドの10 世紀初頭の『コーマック用語集』にみとめられる語「Oímelc=春の始まり」は「oí-melg =羊乳) に由来し、「羊の乳が来る時」を示していたともいわれる。

 このように「インボルク」の起源は、キリスト教が到来する以前、大地に根差した牧畜農耕の共同体が、牧場と家畜の大地が胎動する春に、「浄め」の観念を古くから培ってきたことにあるだろう。そしてその春の到来の祝日を司ったのが、「大母神/グレートマザー・大地母神/アースマザー」ブリギッドであったと考えられている。


灯心草で編む「聖ブリギッドの十字架」:シンボルと習わし

 「インボルク祭」を祝うための最たる徴となる伝統のシンボルといえば、「聖ブリギッドの十字架」であることはいうまでもない。つまりこの祝日は「自然の植物」なしには、まず始まらないのである(図❻ ①聖ブリギッドの十字架 キルデア大聖堂 撮影=鶴岡真弓 ②ブリギッドゆかりのキルデアの紋章にも聖ブリギッドの十字架)。

図❻-① Ⓒphoto by Tsuruoka



図❻-②

 聖ブリギッドは祝日の前夜に家々を訪れると信じられ、人々は聖女から祝福を受けるため、インボルクの前日に、近くの野に出て、冬でも青々とした灯心草(ラッシュ)、即ち藺草(いぐさ)を刈って、家族総出で「聖ブリギッドの十字架」を編み、納屋やキッチンに飾るのだ。「聖ブリギッドの十字架」は、この草で、1つ1つ手で編み上げて作る。私もドキュメンタリー映画『地球交響曲第一番』(龍村仁監督 1992年 文末の資料参照)で、地元キルデアの人々とともに、この聖女の十字架を「灯心草で編む」シーンに出演させて頂いた有難い思い出がある。

 聖ブリギッドの修道院の拠点、キルデアの県のエンブレムにも、緑の「聖ブリギッドの十字架」が「ハープ」や「オーク(樫)」や「馬」などゆかりの象徴物とともに表現されている。ブリギッドの聖地「キルデア」は「オークの木の教会」の意である。この写真の「聖ブリギッドの十字架」はそのキルデアの大聖堂を最初に詣でたとき、そこに掲げられていて拝んだ思い出深いものである。

 そして重要なのは、この十字架の特徴として、キリスト教世界に十字架はさまざまあれどもユニークな「回転体」のかたちをしていることだ。

 言い伝えでは、春の始まりの日に、ブリギッドが「太陽」に、その衣を掛けると、この十字架のかたちが現れたという。つまりこの十字架は「陽光の回転」の象りなのであり、今日、これはケルト文化圏、特にアイルランドの伝統の特別の十字架として、世界に知られるに至っている。

 近代における移民先のアメリカやカナダやオーストラリアなどで、インボルクの日には、家に飾られるのみならず、現代ではジュエリー・デザインなどでもリヴァイヴァルして、世界的な人気を高めている。いにしえの人々は、光が回転し始める日の歓びは、「編む」という「連続性を絶やさない技」によって初めて表現可能であることを、歓びとともに知っていたのだろう。


植物・春のシンボリズム

 このように「インボルク」の祝日は、「陽光」がブリギッドに結びつけられている。大自然が目覚める春の始まりのパワーが、聖なるものとして視覚化される祭りであることが、この「灯心草」で作られる独特の十字架からまずわかるだろう。しかし「植物」により作られるのは十字架だけではなかった。実はブリギッドのための「ベッド」や「ブリギッド人形」など、ほとんどの捧げものが、自然界の恵みとしての灯心草やイグサやトウモロコシの葉で編まれ、窓辺に飾られる。そしてその飾りと、祭日の習わしは、異教的な雰囲気を漂わせるシンボルに満ちている(図❼ インボルクのシンボル)。

図❼

 このカードに描かれた「聖ブリギッドの十字架」は春陽。「泉・井戸」はアイルランド各地にある聖ブリギッドの泉。「リボン」は聖女の衣の癒し。「コーン・ドール」は春の到来を告げる聖女・大母神ブリギッドの化身。そして「キャンドル」は後述する、「火と陽と炉」の女神ブリギッドを寿ぐしるしである。ブリギッドのベッドを作る伝統は、マン島や、スコットランドのヘブリディーズ諸島でもおこなわれてきた。

 冬の最後の夜を記念し、前日に特別の食事を供え、家族でいただき、オート麦やバターとともに衣の断片としての「布切れ(リボン)」を外に飾り、布を治癒と保護の力とした。ヘブリディーズ諸島では、女性たちが大きな「布」を持って「ブリッド、ブリッド、来てベッドを作って」 と歌い踊ったという。「布」は新生児のお包みであると同時に、全ての人間のいのちを包む、おおいなる母胎としてのブリギッドの象徴なのである。

 なお、アイルランドでは「木」に魔法の力があると信じられ、トウモロコシの葉で作ったコーン・ドールがベッドに置かれ傍らに「白樺の杖」が添えられるのは、ブリギッドが植物を再び成長させる杖を持っていたという信仰をも表している。つまり「インボルク祭」の豊かなシンボル群れは、どれもがキリスト教の聖女であるブリギッドと、異教の大母神としてのブリギッドが「習合」した徴を示していることがよく分かるだろう。ゆえに、どれもが、小さくても、活動するアニマ(霊魂)を宿らせ、「アニミスティック」であるゆえに「愛らしい」。日本における「かわいい」の生命論に通じるように。


◆異形の民俗の「予祝」

 2月1日の前日までに「ブリギッドの十字架」とともに、ブリギッドの姿の人形 (ブリデオグ) を同じく草で編んで、家に供えるが、共同体の儀礼として、少女たちがそれを行列で運び、各戸を巡る習わしがあった。地域によっては女の子がブリギッドの役割を引き受け、イグサで作った「ブリギッドの王冠」と「ブリギッドの盾」と「ブリギッドの十字架」を持って家々を巡った。そこに藁で身を飾った少年たち「ストローボーイズ」も随行することがあった(図❽「ストローボーイズ」 http://www.irishletter.com/straw-boys & http://www.sligoheritage.com/archmummers.htm)。

図❽

 藁を被ったこの少年たちの姿は、稲の文化の日本の祭りかと見紛う「植物神」への感謝に溢れている。

 つまりこの儀礼の背景には、キリスト教の聖女を崇めるのみではなく、それ以前から祈られてきた牧畜農耕の生業で生きる共同体の春の到来への「予祝」が籠められてきた。

 春の兆しを象徴する「若い力」は、光を連れてくる。が、そこには、逆説的に、それが纏う枯草に「冬=死」の名残が表象されていて、冬の魔物のパワーが、少年たちの若い力によって「押し出され」、「冬=死から、春=生が産まれる」という「移行の時」を共同体が祈りつつ表現してきた伝統の民俗である。

 スコットランドのヘブリディーズ諸島では、胸に聖母マリアを思わせる「ブリジッドの導きの星」 と呼ばれる貝殻またはクリスタルを飾るが、これも自然物に借りて表現する光だろう。少女の全員が純潔と若さの象徴として髪を垂らし、白い服を着て、賛美歌を歌いながら行列で人形を運んで家々を訪れ、ブリデオグのための食べ物や装飾品をもらい、ブリデオグが名誉の場所に置かれる家でごちそうを食べ、子守唄を歌いそれを寝かせ、その後少年たちも合流して歌や踊りを披露したのである。

 さてこのようにみてくると「聖女」にして「大母神/グレートマザー・大地母神/アースマザー」であるブリギッドが、酪農・農耕において動植物が育まれる「光の半年へ踏み出す春」に、自然のサイクルの最初の蠢きをしるすという、キリスト教受容以前の「季節祭」の心性が深くうかがえる。

 今日まで人々は、揺るぎなく、ブリギッドを「アイルランド(ゲール)のマリア」として崇め続けてきた。それは、聖母のように慈愛に満ちる御方というのみならず、むしろ(イエス・キリスト誕生のクリスマスが自然信仰の冬至を取り込んで祭日となっていったように)、その前身として、逞しい「大地母神ブリギッド」がおり、その力が人々に記憶されてきたからではないだろうか。

 その「期待度」の大きさは、守護神としてのブリギッドの「全能性」に証されていると思われる。いよいよここで、彼女のその驚くべき「オールマイティー」な能力に迫り、冬から春への奇跡がもたらされる結論部へと進もう。


大母神/グレートマザーだったブリギッド

 「ブリギッド」という存在の古さは、島のケルトのみならずその名がブリタニアやヨーロッパ大陸に、それにまつわる地名や部族名があることからも指摘されている。

 古代ブリテン島にいた「ブリガンテス族」が「邦の守護神」として祀っていた女神だったという説や、大陸のオーストリアのコンスタンツ湖の辺りにいた部族がその名に関係し、地名「ブレゲンツ」もブリギットを源にし、ブリテン諸島のみかフランス側のブルターニュにもそれらがみられるとされることから、古代から広範囲に崇敬を集めていた「ブリギッド」の存在が推測されている。

い かにも中世以降、アイルランドの既出の『コ―マックの用語集』や『アイルランド侵入の書』(11世紀)などにも記されたように、ブリギッドはオールマイティーな才能をもつ聖なる女性として絶大な存在であった。

 簡潔にいえば「ブリギッド」とは、「ゲール人(アイルランド人)のマリア」と呼ばれる最高の聖女であると同時に、 異教の「大母神」「地母神」であり、「春の陽光」を連れてくる「高貴なる者」にして「光輝なる者」、ゆえに、偉大な「芸術・医術・鍛冶の女神」であった。

 その証拠に、ブリギッドが引き受ける「守護(パトロナージュ)」は、厳しい冬の困難を乗り越えて誕生する生命にかかわりをもっていて、「赤子、孤児、鍛冶、水夫、放牧、鶏、農夫、酪農婦、酪農労働者、逃亡者、産婆、乳母、新生児、養鶏、尼、詩人、印刷、学者、船頭」と多岐にわたっている。


◆酪農の女神として

 なかでも、あらためてその守護の第一は、聖ブリギッドの祝日が、酪農社会にとって、春一番の「搾乳の始まりの日」であることだ。

 イングランド側のグラストンベリーにある聖パトリック聖堂に描かれている聖ブリギッド像にも描かれたように、この聖なる女性にまつわる象徴物の筆頭は「牛・火・糸巻」であり、何をおいても「牛」が大きく描かれているのは、春とともに光臨するブリギッドが、「酪農」「乳しぼり」「牧場」の守護神だからである(図❾ 聖ブリギッド グラストンベリー 聖パトリック礼拝堂壁画 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e1/St._Brigid_Painting.jpg)。

図❾

 これには聖人としておこなった「奇跡」の伝承が土台にあって、ブリギッドが「酪農」「牧場」を守護するという信仰は、彼女がその「衣」をどんどん広げて、広大な牧草地を創造したという言い伝えによる。その信仰は現代アートにも引き継がれており、この「聖ブリギッドの衣」と名づけられた現代絵画は、彼女の「衣」がどこまでも「緑の牧場」に変容していったミラクルを表し、その守護の下でアイルランドが酪農王国として生かされていることを想起させる。牧場を生んで(産んで)くれたブリギッドを、アイルランドの人々は今日まで忘れたことはない(図❿「聖ブリギッドの衣」https://brigidine.org.au/about-us/our-patroness/legend-of-st-brigids-cloak/)。

図❿

 この奇跡を語るシーンは、ひとりの不幸な女性が娘たちとともに力強く生きていく現代映画『サンドラの小さな家/原題:Herself』(2020)にも登場する。アイルランドでは子供たちも「歴史」で学ぶから皆知っており、自力で家を建てるシングルマザーの主人公に「聖ブリギッドのご加護」が降り注いでいる物語であることを、観客は理屈抜きで感じることができるのだ。もしかしたら主人公の「彼女自身」も、力強い「ブリギッドの分身」なのかも知れないほどに、である(図⓫『サンドラの小さな家』広告より https://cowai.jp/movie/10453/)。

図⓫

乳母としてのブリギッド:イエス・キリストの誕生に立ち会った奇跡の伝説

 だから「酪農の守護神」であるブリギッドは、「育みのミルク」の守護者でもある。キリスト教信仰において、さらに「キリストの乳母」のひとりだったという独特の信仰を生んでもきたのだ。

 2月1日のインボルクの日は「乳しぼり・搾乳の始まりの日」。それが新生児に与える「最初のミルク」と関係づけられて、ケルト・キリスト教の文脈に取り入れられ、聖ブリギッドがキリストの誕生に立ち会ったという聖なる物語となったのではないだろうか。

 この伝説は19世紀末から20世紀のアイルランドやスコットランドやウェールズやブルターニュにおける「ケルト・リヴァイヴァル」の画家によっても描かれ人気である。スコットランドのジョン・ダンカン(1866-1945)の作品がとても有名である(図⓬ ダンカン「聖ブリギッド」1913年 スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵 )。

図⓬

 ここには処女マリアを彷彿とさせる、白いローブのブリギッドが、キリストの降誕地ベツレヘムへ駆けつけるため、天使によって運ばれたという奇跡が描かれている。ただし、この絵が「ケルト復興」期の名作である証拠に、画家ダンカンは、彼が魅了された、スコットランドの西のアウター・ヘブリディーズ諸島のにび色の海上を背景にし、ケルト神話を思わせる自然界の精霊であるアザラシやカモメも描き入れ、当時の「ケルト的なもの」への待望に見事に応えつつ、ブリギッド信仰のテーマを描ききっているのがミソなのである。先頭の天使の衣には「マギの礼拝」に同行する小さな聖なる愚者(画家自身)も描き込まれているともいわれる自意識まで表明しつつ、この聖なるシーンに画家も臨場している。


◆ブリギッドの3つの力:芸術・医術・冶金術

 さてこのように、いにしえから現代まで、アイルランドやスコットランドの人々の「生命」に最も寄り添ってきた「ブリギッドの力」は、地に足の着いた牧畜農耕民のための「季節の循環」の護り手としての信仰を集めた。それをより「ケルト文化・文明」の視野で意味づけると、そこには、実は「ユーロ=アジア世界」に普遍的にあるだろう、先史文化以来の「芸術・医術・冶金術」という最強の3つの能力が、ブリギッドに託されたことまでが、みえてくる。

 ❶言霊(詩)

 ❷治癒(医術)

 ❸鍛冶(火力・炉)

という、この3つの力は、ケルトに限らず、優れた古代文明を築いた共同体の生命維持と発展に不可欠であった「巧み」と「匠」を反映している「文明を支える能力」であるということを、見抜かなければならない。なかでもケルト文明は「農耕牧畜」、かつ、アルプス以北の「鉄器」文明を培ってきた。その巧みと匠は、島のケルトの幾多の実際の金工美術に打ち込まれ、その工人たちの巧みは、中世の修道士たちの聖なる美術に引き継がれた。

 そしてここで最も重要なことは、「芸術・医術・冶金術」の「術」が「男性神」ではなく。「女神」が担っているところが肝要である。異教時代の「古層」の優れた匠たちの「技/術」は、中世キリスト教文化に引き継がれた。

 即ち、ブリギッドは、

 ❶「言霊」:古代ドルイドの時代から、話し言葉、「言の葉」には霊的な力があり、いのちを吹き込

む気息をもつ。ゆえに詩歌の芸術も司る女神である。

 ❷「治癒」:赤子の育みから、病気の人々への救いまでを司る女神である。

 ❸「鍛冶」:火力で武器や用具を創造し、家の炉の輝く火を絶やさない。冶金術の守り神であり、地水火風を循環させる女神である。

 この三つ組み(トリアード)は、いずれも異教時代の「大地母神ブリギッド」にそなわる力であり、それは天地の間に起こる大自然のエネルギーを、行き交わせ、共同体に伝える力だったと考えてみよう。ここには「農耕・牧畜」に加え、ヨーロッパの「鉄器」時代以来のケルト文明の叡知と技・術が照り映えている。そしてこの「匠」としてのブリギッドは、それらの生業を産むために、資源(リソース)を与える「自然界の恵み」と、そこから利器と精神文化を創造する「人間界の営み」をつなぐ役割を託されている。

 たとえこの「女神」の守護力は、古代から中世に変わっても、不変であり続け、アイルランドやスコットランドやマン島をはじめとする島の文化圏の自然観・生命観は、異教からキリスト教へと途切れず続いてきたことを、ブリギッドの「存在=プレゼンス」が体現し続けた。

 共同体の安寧、生産、苦難の乗り越えへの祈りは、この聖女にして大地母神が司る「自然の治癒力への信頼」においても一貫している。

 こうして、私たちは、1人の「ケルト神話伝説のキャラクター」と出会うことによって、わが国の文明文化にまでつながるユーロ=アジア世界の「根源」にいざなわれる。(それがこの連載の真の主旨でもある。)

 いずれにせよ、以上の3つの能力が、ブリギッドと結びついてきた。そして人間に命を与え、文明をもたらし浄める、自然のエレメントのなかでも、とりわけ「水と火」がこの聖女にして大地母神に結びついてきたことは、驚くにあたらないだろう。


ブリギッドの泉・井戸へ―ケルト時代の「河川・水源・泉」の信仰

 アイルランドでは、西のクレアや、本拠地のキルデアをはじめとして「聖ブリギッドの泉」が点在し、今も人々はインボルク祭が近づくと、前日からその聖水の源を訪れ、家・家族・家畜・耕地への祝福をと健康を祈る慣わしを絶やしていない。19世紀の民族誌では、インボルクの日に、水とミルクが耕地に注がれていた。そこにはミルク(牧畜)と水(農耕)の「信と知」が照り映え、ブリギッドの恵みに感謝が捧げられる(図⓭ キルデアの「聖ブリギッドの泉」 泉の傍にある「祈りの樹」に多数のリボンが結ばれる)。

図⓭


 こうしたブリギッドと「水」との関係は、キリスト教受容の遥か以前からあった、異教時代の「女神と河川」の結びつきを大いに喚起させる。

 たとえばアイルランド神話で最も重要な神々のパンテオンである「ダーナ神族」の母神「ダヌ」は、ダグダ、ディアン・ケヒト、リール、ゴブニュ、ヌアダの母であり、広く崇拝されていた「生命の母神 Danu/Dana」であり、同じ力をもつ「アヌAnu/Ana」とも同一視され、この母神の名は「水」に深く関係しており、ブリギッドの大地母神の面影はこの女神に通じると考えられており、そのスケールは、島のケルトからユーラシアまでをつなげるダイナミズムをもっていることも驚くにあたらない。  

 即ちヨーロッパの主要河川の豊富な水を湛える大河名は「ケルト語源」で、ヨーロッパ大陸でケルトの言語文化集団が活動していた古代の幹線、「ドナウ川:Danube ・ラテン語:Danuvius」や、ケルトの鉄器文化が東漸して黒海沿岸のモルダヴィア、ウクライナにまで至り、その地帯を流れる「ドニエストル川 Doniester」、「ドニエプル川 Dniepr」、そしてその東のロシアの「ドン川 Don」という河川名もケルト語源であると考えられている。これらの名はアイルランドの神族の「ダーナ神族」の母神「ダヌ」の名と同一語源であり、「河川、泉 井戸、水、流れ」の守り神としての「女神」が示唆されている。

 実際ヨーロッパ大陸のケルト文化圏では、主要河川がケルト、ガリア文化において「女神」として崇敬を集めており、その証拠に「奉納物」も多数発見されている。現代のフランスを中心とした古代ガリアの河といえばセーヌ河」は、ケルトの河の女神「セクアナ」として崇められていた。水源は「治癒の聖域」で、ガロ=ローマ時代に捧げられた「治癒されたい部位」を象った木工造形などの奉納物が発見されている。

 アイルランドの「聖ブリギッドの泉」にもたくさんの奉納物が捧げられており、根源ではこうしたヨーロッパを横断したケルト文化の「水の信仰」と関係があったのではないか。 

 語源論や考古学から読み解くとき、アイルランドに主に残る「ブリギッド」崇拝も、神話伝説も、島のケルトの孤立した物語でないこと、同時に、キリスト教受容以前の文化伝統が「ブリギッド」崇拝の背景にあることを知ることによって、なぜ「ブリギッド」が、異教かキリスト教かの二択を越えて、現在まで「最強」で有り続けているのかの謎に迫れると思われる。


「火」としてのブリギッド

 その意味で、以上の「水」とペアとなる、ブリギッドと「火」の結びつきも、古代ヨーロッパの鉄器文明を担ったケルトの歴史に遡ってみて、初めて明らかになる側面を孕んでいる。

 2月の「火」といえば、キリスト教信者にとっては、2月2日の「キャンドルマス=聖燭祭(せいしょくさい)」であって、「神殿奉献」を記念する祭日である。『ルカによる福音書』(2章22-38)が伝える通り、聖母マリアは産後の清めの期間を終え、モーセの律法(「レビ記」12章、「出エジプト記」13章2、「民数記」18章15-16)に従って、長子イエスをエルサレムの神殿に捧げに行き、シメオンと女預言者アンナが、救い主の将来を予言したことを記念する日で、聖堂に特別なキャンドルが灯されるのだ。しかし島のケルト文化圏には、キリスト教暦の2月2日に先駆けて、2月1日の「聖ブリギッドの祝日・インボルク」という季節祭が訪れるのである。

 つまり暦の上で、この祝日は、キリスト教のキャンドルマスの「キャンドルの灯」と連鎖しつつ、異教時代の大地母神ブリギッドの「生命を守り文明を創り出す火力」を思い起こす日なのである。

即ち前述したとおり、アイルランドやケルト文化圏の信仰では、家の「炉」の火も、「赤子」を暖め育む暖炉の火も、ブリギッドが守護する「火(力)」として存在し、それが「生命」を循環させ育むものとなる(図⓮「灯火を掲げる聖ブリギッド像」 キルデア 聖ブリギッドの泉)。

図⓮

 火力は先史に遡れば文明のパワーであり、輝く「金属器」を創造する。貴金の利器は道具や武器や装身具となって生命を守り、聖なるお守りとなって、死者の墓にも副葬し、「永遠の生命」が祈られた。ケルト文化は大陸においても島においても、紀元前の鉄器時代にその最高峰の金属という生命を「火から創造」してきた文化をもっていた(図⓯「鍛治として鉄を鍛えるブリギッド」&「赤子」を暖炉の傍で暖め育む慣習)。

図⓯






 ブリギッドは「冶金術師(スミスクラフト)」の守護神として、またその工人そのものとして崇敬されてきたことは、その文明の背景を知れば不思議ではないだろう。

 今日、キルデア大聖堂の境内の中世の礼拝堂の跡には、いにしえから一度も消されることなく燃え続けていると信じられている「ブリギッドの灯火」が灯され続けている。この石組も大いなる「炉」を思わせ、鉄器時代からの冶金術を伝統とする社会の、火の守護神への崇敬を反映しているようにみえる(図⓰「聖ブリギットの火」礼拝堂跡 アイルランド キルデア 聖ブリギットの聖堂 http://www.megalithicireland.com/St%20Brigid%27s%20Fire%20Temple,%20Kildare.html)。 

図⓰

 ブリギッドが「火」と結びつけられた理由の、最大の根源的理由は、正に「春の始まり」をしるす「陽光」を、この聖女にして地母神がもたらすと信じられたからである。2月1日はまだ実際の気象では冬だが、雪の下で「生命」が撹拌されていく。その力は、地上の火の根源である「太陽」からやって来る。「太陽=陽光=輝く火」が大地を暖め動植物が目覚め、人々が動き出すことができる。それはブリギッドの加護によるのである。

 「冶金術」がブリギッドの守護する神聖なものであると考えられたのも、「火」は「太陽」「陽光」そのものであるからである。アイルランドの考古学によって、いくつかの先史の墓塚(タラの丘の「人質のマウンド」など)の羨道が「インボルク」の「日の出」の陽光を通すことが観察されており、「インボルク」に相当する日月に回帰すると信じられた「春陽」に、大いなる「生命の再生」を願ったものと推測されている。

 いうまでもなく「火」はその使い方によって、まったく正反対の状態を、人間にもたらすものであり、戦いの砲火となれば、すべてを一瞬にして死の灰にしてしまう威力となる。一方、それが家の炉や暖炉に用意されるとき、人間の心とからだを暖め、命を育む。「火」は私たちの文明が「死の灰」になるか、生命を再生させ続けることができるかは、私たち自身に問われている。古代から繰り返される、あらゆる災の犠牲がなきことを祈り、世界の人々は、キャンドルに火をともして黙祷してきた。人間にはどうすることもきない「不可抗力」も起きるが、たとえ「灰」からでも、もう一度、火=光=明りを「起こすこと」ができるようにと、人は祈ってきた。

 なお「灰」にまつわる異教の名残を思わせる興味深い「お呪(まじな)い」としては、ブリギッドが「炉」の守り神であったので、インボルクの日までに、炉の灰が掻き集められ、インボルクの朝、ブリギッドが訪れてくれていれば、灰の上にある種の徴があるはずと、信じられたフォークロアがある。現代のアイルランドではパブで名物のギネスビールの、絹のように細やかな白い泡に、シャムロック(三つ葉のクローバー)を「徴づける」、粋なはからいがおこなわれているが、それも単なる飾りではなく、「お呪い」なのだと思えてくる。

 希望を与えるブリギッドの「陽光=輝く火」は、文明の「冶金術」の火であり、「赤子」を暖め育む火であり、「生命」の火であり、「鎮魂」の灯であることを人々に教えてきた。異教とキリスト教を貫く「春陽」の聖女にして大母神であるブリギッドの逞しさはそこにある。


「妖婆カリアッハ」と「乙女ブリギッド」交代の民族誌

 さて最後に、そうしたブリギッドは、どんなに崇められても、孤立した「ひとり」ではないことを、書き留めて、本論を閉じることにしよう。

 ブリギッドが「春」を招く「陽画(ポジティヴ)」として存在するのは、実は彼女は、「冬」の「陰画(ネガティヴ)」の存在と背中合わせになっているからなのである。

 「インボルク」は伝統的に、大自然の春への移行を確認する日であり、北米やカナダでは元はドイツ系移民の民間信仰であったという、リス科の動物マーモットが巣穴から出てきて春を告げる同日の「グラウンドホック・デー」に当たる。それはヘビやアナグマが冬の巣穴から出てくるかどうかを確かめる季節祭であった。

 一方、大陸のヨーロッパでも、この節に、大自然の変化を実感し、大自然の精霊である動物の姿をする仮装行列が、2月のカーニヴァルに現れる。これは現代ではリオのカーニヴァルにみられる、四旬節の「肉断ち」直前の「謝肉祭」というキリスト教信仰における暦が浸透するずっと以前のヨーロッパで守られてきた「自然信仰」に基づく「季節祭」の観念が反映されている(図⓱ ハンガリーのカーニヴァル 大自然の精霊https://en.wikipedia.org/wiki/Carnival#/media/File:Bus%C3%B3j%C3%A1r%C3%A1s_(Moh%C3%A1cs),_2009.jpg)

図⓱

 これらの荒ぶる大自然の化身たちは、その野生(ワイルド)な姿かたちにおいて島のケルト文化圏の大自然の化身に通じている。「冬から春への移行」は容易なものではなく、実際には、2月1日のインボルクが到来しても、春陽は見えず、荒ぶる「冬の精霊」の抵抗が冬枯れや悪天候を長引かせ、飢餓をもたらすことを、牧畜農耕民は熟知していた。

 前述のハンガリーの(キリスト教の文脈では)2月のカーニヴァルに、なぜあのような「大自然の荒ぶる精霊」としての動物(の仮装)が出現するのか、という問いの答えを、私たちは本論の最後に記すことができる。

 ケルト文化圏でも、民俗信仰では、春が待たれるこの2月の始まりにこそ、「荒ぶる大自然」が想起されたのだった。アイルランドでもスコットランドでも、「インボルク」の日には、「冬が終わる」ように願われた。冬から春への交代は、大自然の様子如何では、望み通りにいかない。そのための「祈り」と「祀り」を必要としたのである。

 即ちアイルランドやスコットランドの民間では、人々は「インボルク」にブリギッドを迎える時、同時に大自然を司る「妖婆」である「カリアッハ Cailleach」(「カラッハ」とも)が、おとなしく眠りつくことを願った。

 「カリアッハ」は、英語では「魔女(ウィッチ)」と訳されるが、その含意は深く多様で、「妖婆、鬼婆、女隠者、青い婆さん」などと呼ばれ、日本の「山姥(やまんば)」を思わせる。アイルランドや

スコットランドでは、大いなる異界の存在で、大自然の山、湖、谷をつくり、吹雪と荒波をもたらすと信じられてきた。アイルランド最西南、沖8マイルの世界遺産スケリグ・ヴィヒールに立ち尽くす巌、「嘆きの女」も、その化身とみなされている(図⓲ スケリグ・ヴィヒールの巌「嘆きの女」 https://en.wikipedia.org/wiki/Cailleach#/media/File:Skellig_1.JPG)。

図⓲

 スコットランド、ハイランド地方では、おおいなる自然力の擬人である「カリアッハ」は「野生動物の守護者」にして「病の女神」にして「冬の女王」である。山中に棲み,地面や湖面を杖で触れて凍らせる妖婆「カリアッハ・ベーラ」は「冬の象徴」である側面が強い。笑い声をあげて寒気をふりまき、人を凍死させるイギリスの「ジャック・フロスト 」(霜の擬人化)や、安息を得られぬ鬼火とされる「ウィル・オ・ザ・ウィスプ」(火の擬人化)、土を耕しつづけ休息時にカエルをあぶって食べる皺だらけの顔の小人「ポーチュン」(農地の擬人化)などもその仲間で、カリアッハは最も長い時間を生きて自然を支配している妖婆である。

 100年前のケルト文化復興で最も活躍し、聖ブリギッドの伝説も描いた画家ジョン・ダンカン(前出)も、女王然たる姿を描いている(図⓳ ダンカン「カリアッハ」『スコットランドの神話伝説の不思議物語』の挿絵より1917年 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e7/Wonder_tales_from_Scottish_myth_and_legend_%281917%29_%2814566397697%29.jpg)。

図⓳

 マン島では、「陰鬱な妖婆」と呼ばれ、くちばしに棒を運ぶ巨大な鳥の形をとっていると想像された。片方の肩にカラスがとまり、手に棘のあるリンボクの一種「ブラックソーン(スピノサスモモ)」の「杖」を持っている。スコットランドでは「ベールをかぶった老婆」の姿でイメージされ、やはり冬の「ブラックソーン」と結びつけられた(図⓴ ブラックソーンの実と花)


図⓴

 












 ブラックソーンという樹は、その鋭い棘のせいで、キリスト教徒によって、魔女や闇の魔法と結びつけられ、カリアッハが、ブラックソーンの杖を使って人を呪うとされた。

しかしこの荒ぶる妖婆は、現代のアイルランド映画に登場し、「共感」を呼び起こしている。風景の中にそれは潜んでおり、人々の記憶のなかに、住み着いているからである(図㉑ 映画「カリアッハ」イメージ&キャラクターの巨大人形 https://www.loopheadstudio.com/cailleach/cailleach.html)

図㉑


 映画「カリアッハ・ベーラ(An Cailleach Bhéarra)」(2007)は、アイルランド東部コーク県ベーラ半島に伝わったアイルランドの民間伝承に基づいており、老婆・異界の女性・母なる大地・女王または魔女が、キリスト教によって追い詰められていったことを描いている。映画では巨大な人形を用いて民俗の記憶をシュールかつ詩的に表現し、「スクラッチフィルム」の効果は、追い詰められた「カリアッハ」が引き裂かれるイメージを示唆している。

 しかしこの映画は単にキリスト教によって消滅させられてしまう異教の妖婆を描いてはいるのではない。「自然の循環(サイクル)」を維持するために、いかにカリアッハが闘ったか、そして彼女は、いかに蘇ることができるかまでを描いているのだ。(YouTube:https://www.youtube.com/watch?v=HQI3RCUFuYE)。

 伝統社会においてはカリアッハが「ヒーラー」即ち「治癒の女神」として崇敬されていたことも示唆されている(参照:Gearóid Ó Crualaoich ,The Book of the Cailleach: Stories of the Wise Woman Healer, 2006)。いかにも前出のブラックソーンの樹は、妖婆の持物とされながらも、一方の民間信仰では、人間が荒廃から立ち上がり、希望に向かえる、文字通りの「杖」ともされてきたのである。たしかにアイルランドではブラックソーンのまっすぐな幹は、杖や棍棒として重宝されるのみならず、王立アイルランド連隊の士官はその杖を持つのが伝統とされた。それは硬く揺るぎない意志をもってあらゆる困難を克服する先頭を行く徴だった。そこに人々は「カリアッハ」につながる超自然の力をもみていたのかも知れない。

 つまり冬の妖婆自身も、それにまつわる自然物も、生命を奪うだけでなく、それを再生させる治癒力をもっていたのである。

 いいかえればケルトの民間信仰において、冬の妖婆「カリアッハ」は、春の始まりの日「インボルク祭」を境に「ブリギッド」と交代し、その秘めた力を引き継がせたといえるのではないだろうか。「インボルク」は、冬と春、つまり老婆カリアッハの暗い冬が、乙女ブリギッドの光の春へと「交代」する日、させられる日なのである。それが失敗しないよう、つつがなく移行しますようにと、人々は祈った。日本の2月の「立春」の前日の「節分」の儀礼も、この移行において「魔が差さないように」おこなわれるものであり、「鬼は外」と同じ祈りを、ケルト文化ももっていたのである。

 その意味でブリギッドとは、単なる春の女神ではありえない。冬があるから、春が訪れる。闇から陽光が生まれ来る。厳しく暗く冷たい「冬」から、優しく明るく暖かな「春」が誕生すること。この見事な大自然の気象の反転をみつめ、自然に寄り添って生きていたいにしえの人々は、それはミラクルであると、思想できた。

 慈愛に満ちたブリギッドは、強力なカリアッハの変容であって、カリアッハの「治癒」の力は、ブリギッドに手渡されるかたちでそなわっている。荒ぶる冬の妖婆を反転させるために、ブリギッドこそが、大地の下で、森の奥で、山の中で、厳しい「冬」を背負いつつ、「インボルク」のイヴを待ち、出現する逞しい大母神・地母神なのである。

 いかにもアイルランドの伝承では「冬の妖婆:カリアッハ」は「夏の女神:オーニャÁine」と姉妹であるともいわれている。 オーニャはカリアッハと真逆で、真夏太陽に結びつき、赤い雌馬で表され、愛と豊穣の女神として作物と動物を育み、酪農・農耕を促進する。そしてこの「冬」と「夏」の間に、「春」の女神としてブリギッドがいる。

 ただしカリアッハやオーニャと、ブリギッドのちがいは、前二者が異教の女神や妖婆に留まったのに対して、ブリギッドは地母神から、キリスト教の聖女に聖別されたことである。しかしなお、異教時代の大いなる自然を育む大母神としての力を、聖女の慈愛の内に秘めていることである。

 私たちも例外ではない。春の胎動への、あのワクワクする期待感は、闇から光への「反転」がうまくいくのか、そうではないのかという、牧畜農耕民の心の蠢きを分かち持っている。それを暦に刻んで特別の祭日としたのが「インボルク祭」であったのである。


◆現代の復活:国民の祝日となった「インボルク」

 さて以上の伝統をもつ聖ブリギッドの祝日「インボルク祭」は、現代に、いっそう活発となっている。

 アイルランド南部のケリー県キローグリンの町では、復活したパレードが毎年開催され、あの麦わら帽子と面をかぶった男女が冬の悪霊を追い払い、今年の幸運をもたらすために、ブリギッド人形「ブリデオグ」を運んで、パブを訪れ予祝する

 ケルト音楽のセッション、聖ブリギッドの十字架のワークショップ、映画上映、歴史講座などが開催され、メイン ・イヴェントは、街中を巡る「ビディ・グループ」の松明(たいまつ)パレードがクライマックス。松明が「冬」を焼き払い浄化して「春」を招くその光景は、日本の奈良・東大寺の春の訪れを告げる修二会(お水取り)を思わせる。

 北東部のラウス県では、2009年以来、毎年「ブリギッド・フェスティバル」が開催され、聖女にして女神であるブリギッドを祝い、音楽・詩・講演、そして伝統の「聖ブリギッドの生地フォーガート」(ダンダークの北)への巡礼もおこなわれる。北のデリーでは「インボルク国際音楽祭」が開催される。

 イングランドでも、ウェスト・ヨークシャーのマースデン村では隔年で「インボルク・ファイアー・フェスティバル」がある。ランタン行列、火のパフォーマンス、花火、音楽、そして「夏の緑」のグリーンマンと、「冬の霜」のジャック・フロストを表す巨大なキャラクター人形による、象徴的な「闘い」が上演され、松明の行列が続く(図㉒ インボルクの火祭 ウェスト・ヨークシャー)。

図㉒

 世界各国にあるアイルランド大使館では、聖ブリギッドの祝日を記念し、アイルランド人の「ディアスポラ」の歴史によって世界に進出したアイルランドの女性移民たちの芸術作品を紹介もしている。 本国の首都ダブリンの「ブリギット・フェスティバル」でも「アイルランド女性の貢献」が祝われるようになった。

 そして遂に2023年から、アイルランド共和国では、「インボルク/聖ブリギッドの祝日」を聖なる祝日と季節祭の両方を記念する日として、国の年間祝日に定めたのである。政府は声明でこれはブリギッドという聖女・女神・女性にちなんで定めた最初の祝日であり「ケルトの伝統的な4つの季節祭のすべてが祝日になったことを意味する」と宣言した。

 この決定を最も寿いでいるのは「大自然のサイクル」を循環させる精霊たちであり、その化身としての「ブリギッド」であるだろう。そしてその「季節という循環の力」の波動は、ユーロ=アジア世界の10000㌔を越えて、極東の島国・日本の大地にも降り注ぎ、2月の「立春」の光と交歓するのである。


◆参考文献・参考映像

❶聖ブリギッドの祝日「インボルク祭」シーンの映像

龍村仁監督「地球交響曲第一番ガイア・シンフォニー 第1番」 1992年

出演 ラインホルト・メスナー ダフニー・シェルドリック 野澤重雄 エンヤ 鶴岡真弓 ラッセル・シュワイカート

アイルランド篇 エンヤ+鶴岡真弓







龍村仁監督(1940-2023) https://gaiasymphony.com/gaiasymphony/no01



妖婆「カリアッハ」テーマの映画 https://www.youtube.com/watch?v=HQI3RCUFuYE

「カリアッハ」テーマの音楽 https://www.youtube.com/watch?v=ROwODUllFCk


❸参考文献:聖ブリギッド、インボルク祭、エンヤとの対話など

『ケルト 再生の思想』 (ちくま新書) インボルク祭、ハロウィンなど「4つの季節祭」

『ケルトの魂』 (平凡社) エンヤ氏ほか16人との対談集 












Ⓒ 鶴岡真弓 Mayumi Tsuruoka



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