観音巡礼の聖地を捉え返す
──星野英紀『初瀬の寺散歩──私の長谷寺論』ノンブル社、2022年3月──
島薗進
奈良県桜井市にある長谷寺は古くから観音信仰の寺として知られているが、現在は真言宗豊山派の本山として知る人も多いと思う。その歴史的変遷を示しながら、そこで展開した宗教生活の諸相を彩り豊かに描き出している。そして、ある側面から捉えた真言仏教の生態を描出し、日本の仏教史を捉え返すための視角を提示し、ひいては宗教とは何かについて考え直す手がかりも提供している。著者は宗教人類学的な側面を重視する宗教学者としての造詣と、五〇年を超えて住職を務め、真言宗豊山派宗務総長という大役をも委ねられた仏教者としての経験とをあわせ持つ。そうした複合的な素養が絶妙に噛み合って味わい深く、啓発されるところの少なくない書物となっている。
長谷寺が真言宗に帰属したのは、一六世紀に専譽僧正(1530-1604)が多くの学僧や弟子とともに住持するようになってからだ。念仏を重んじる覚鑁(興教大師、1095-1143)によって、高野山に距離をとりつつ展開した新義真言宗の一大拠点であった和歌山県の根来寺だが、豊臣秀吉の紀州征伐によって全山焼失するに至る。その際、多くの学僧や弟子とともに新義真言宗の新たな拠点が興される。玄宥僧正(1529-1605)が根来から京都に移って再興した智積院と、専譽僧正が羽柴秀長に招かれて住持するようになった長谷寺である。
それまでの長谷寺は東大寺や興福寺の配下にあったが、僧侶の育成や学問研鑽の場という性格は大きくはなかった。しかし、三十三箇所の西国観音巡礼の札所のなかでも、京都の清水寺や那智の青岸渡寺などと並んでもっとも名高い寺院として皇族、貴族から室町期の新興の町人たちに至るまで多くの参詣者が訪れる場だった。その中心には高さ10メートルを超える御本尊、「長谷寺式」とよばれる錫杖をもった十一面観世音菩薩像がある。本長谷寺が創建されたのは686年とされるが、徳道上人によって観音堂の開眼式が行われたのは733年というのが伝統的な説だが揺らいでいる。
『蜻蛉日記』や『源氏物語』など女流文学者の物語や日記・随筆に登場するように、平安貴族はお籠りをして夢のお告げを得るために、片道2泊3日をかけて長谷寺詣でを行った。時代が降ると、勧進聖らによって勧誘も行われ、次第に多くの人々が参拝に訪れるようになる。長谷寺の内外には塔頭や宿坊などが立ち並び、與喜(よき)天満神社の天神信仰、わらしべ長者の物語、連歌や能楽、そして、桜、後には牡丹と参拝者を惹きつける魅力は少なくない。
一六世紀に豊山派の大本山となり、千人にも及ぶ僧侶がここで学び修行を行うようになっても、多数の人々の参拝の場所という性格は続いていく。多くの巡礼地に見られるように、長谷寺も聖の側面と非聖の側面をあわせもつ場という性格がある。後者は「遊び」の側面といってもよいが、長谷寺では典型的には盆踊りだ。近代豊山派を代表する学僧、田中海応大僧正の『長谷寺』(1912年)の「初瀬の盆踊り」という文章が紹介されている。若い僧侶が「本踊り連」「弥次馬連」という2つのグループを組み、前者は秘密に練習して大丁踊り、小丁踊り、馬鹿踊り、神田ばやしなどを踊る。
当日、櫓には田楽灯篭を掲げ、「喧嘩太平、山内安穏、皆大歓喜、踊躍奉行」と朱色の字で書き、僧侶らは揃いの浴衣で町内を数回行き来する。人々も仮装して踊る。弥次馬連もおかしな格好でそれをはやして騒ぐとともに警護する。ふだんは固い生活の学僧、修行僧たちがカーニバル的な場を盛り立てるのだという。「それ、長谷の観音さんに振り袖着せてーよー(こりゃこりゃ)ならの大仏を婿にとる」と歌うと、弥次馬連らが「ヤートセー、ヤートセー」と囃して踊る。三夜踊るとまたふだんの日常に帰り、秋の講義の準備に精を出す。
この祝祭は長谷寺の年間のサイクルのなかでは特殊なものだろうが、実はふだんから、遠隔参詣者らが経験する非日常の場としての長谷寺と、儀軌に沿った儀礼や堅実な修行や学問の場としての長谷寺とが共存している。これは巡礼研究を専門とする著者が示唆していることだが、著名寺院が少なく歩き遍路が多い四国遍路に対し、著名寺院が多く、観光資源となる個々の文化財が多いのが西国巡礼の特徴だ。多くの僧侶が祝祭に加わるというような情景は西国巡礼の札所ならではのことである。
著者の示唆を敷衍すると、日常と非日常の共存は日本の他の宗教施設にもあることだろうが、長谷寺に特徴的な面もありそうだ。都から近くはない観音の聖地として民衆にまで広がる非日常の場としての長い歴史をもつとともに、新義真言宗豊山派の大本山という組織的な宗教施設という性格をももつ長谷寺ならではの両面がありそうだ。
やわらかな語り口で読みやすい一方、学ぶところ、考えさせられるところの多い好著である。宗務総長の激務を務め、体調も崩されながら、このような書物を構想され、まとめられ、宗教について、また日本の仏教史についてあらためて考え直す機会をいただいたことに深くお礼を申し上げたい。
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