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星の林に漕ぎ出でて—私の天文民俗学 第23回

  • 12 時間前
  • 読了時間: 8分

月のちかぼし

中野真備


 月の近くに星があると人が死ぬ、という伝承がある。

 月のチカボシ(近星)などとよばれ、全国的にみられる伝承のひとつである。

 いつだったか、薄く孤をえがく白い月に寄り添う点をみて、うつくしい誰かの口元のほくろみたいだ、と思った。月の邪魔になるどころか、そのささやかな光とあわせてひとつのモチーフが完成しているようだ。


2009年、米フロリダ州のポンス・インレット灯台の上に昇る月と金星[NATIONAL GEOGRAPHIC 2026]
2009年、米フロリダ州のポンス・インレット灯台の上に昇る月と金星[NATIONAL GEOGRAPHIC 2026]

 写真は、2009年に接近した月と金星である。木々の黒い影とのコントラスト、赤い灯台、夕闇の訪れた空、小さくひかる月と金星。なんと美しい風景だろうか。

1ナショナル・ジオグラフィック誌は、20年弱前に撮影された絵画のような1枚を再掲しながら、2026年7月17日にも三日月と金星が約5度(腕を伸ばしたときの指3本分)まで接近すると読者によびかけた。日本の天体観測関連のWebサイトをのぞけば、毎月の注目すべき天文イベントが掲載されているが、月と星、星と星の接近はその定番といってよいだろう。何日何時頃にどの方角の空で、どの星が月と接近するかということが、手に取るようにわかる。


月が金星に接近

[国立天文台 2026]


 そもそもなぜひとは天体の接近という現象をこんなにも待ち侘びるのだろうか。ことに天体観測を愛好するかたであれば「地球照を伴った幻想的な細い月と宵の明星の共演は、数ある月と惑星の接近の中でも随一の美しさだ」[AstroArts 2026]という紹介文にもきっと納得することだろう。

 たしかに多くのひとは夜空をみたらまず月に目がいくだろうし、その近くに星があれば目に留まりやすいことは当然かも知れない。

 日本のみならず中国など各国の天文史料でも、月や星の接近は注目されてきた。天文資料における「月星接近」にはいくつかの種類がある。たとえば、星(恒星・惑星ときには彗星も)が月のうしろに隠れることを星食という。また、星が月のへりのわずか外側を通過した記録は「犯」や「合」といい、これは月星の接近距離によって区別される[斉藤 1978;1980]。

 「随一の美しさ」かどうかについては天文ファンの熱い思いが込められているような気もするが、冒頭のポンス・インスレット灯台と月、金星の写真をみると「美しい」と素直に思える。


 しかし、残念なお知らせがある。

 月と星の接近は、静岡のある地域では男が死ぬことを、また別の地域では偉人が死ぬことを意味している。さらにインドネシアのある島では、両親が死ぬことを意味している。

 国立天文台によれば7月にも月と金星と接近するそうだ[国立天文台 2026]。この記事が公開される頃には手遅れかもしれないが、あなたのお近くの男性や偉人、両親の無事を願うばかりである。


 菅江真澄研究で知られる民俗学者・内田武志が記した、『星の方言と民俗』という本がある。血友病のためにほとんど病床に臥す生活だった内田の手になる名著であり、今なお多くの研究者や愛好家に読まれつづけている。日本各地の星や星座の和名が記されていて、ぱらぱらとめくっているだけでも飽きない。

 実は本書には、後半で星や月についての俗信もまとめられている。そのひとつが冒頭のような月のチカボシの伝承である。地域によっては、ソエボシ(添え星)とかツレボシ(連れ星)などとよばれることもある。


 月のチカボシについては、「人が死ぬ」だけでなく吉凶いずれの伝承もある。内田[1973]は「月の近くに星がつくと人が死ぬというところが静岡県では伊豆地方に多い」とも述べており、こうした俗信にも細かな地域性がある可能性も指摘している。

 同書から月のチカボシの事例をいくつかとりあげてみよう。


星が月に近づけばその月の出ている間に死人がある

(鹿児島県川辺郡枕崎町*)

 上記は月のチカボシの伝承としてもっとも単純な形といえるだろう。

 ここに、月の満ち欠けや星の位置をくわえたものもある。


月の近くに星が添うと人が死ぬという。若月の時は若い者が、後月の場合は老人が死ぬ

(東京府伊豆諸島青ヶ島)

月の上方に星のある場合は男、下方にある時は女が死ぬという

(賀茂郡稲生沢村・安良里村・下河津村・南上村)

 

月の上近くに星のきた場合には偉人が死に、下方にある時には凡人が死ぬという

(賀茂郡浜崎村)

 

 若月の下方に星があった日には、若い女の凡人(私)はドキドキしてしまいそうである。他の地域では、「火事がある(榛原郡白羽村)」や「雨が降る(駿東郡小泉村)」などの例もある。「口元のほくろみたい」などと思っていた呑気な自分にげんなりするが、ありがたいことに吉兆の可能性もないではない。


月に近く星のあることを「星あい」と称し、月の南に星の出ている時はよい星あいだといって大漁、北に出ている時は悪い星あいだといって人が死ぬという

(榛原郡白羽村)


向かって月の左側に星のある時には人が死に、右側にある時には人が生まれるという。これをチカボシと称す。また宇妻良区吉田の白鳥神社の方にチカボシが見えると子供が生まれる

(賀茂郡三浜村)


 子どもが生まれる、大漁があるというのは、生命の湧きあがるようなイメージなのだろうか。「人が死ぬ」に対して対照的な発想が込められていることは興味深い。

 流星の伝承も吉凶のいずれもが含まれる両義的なものだが、現在では吉兆のほうがよく知られており、凶兆としての流星はほとんど忘れ去られている。月のチカボシはというと、いずれの伝承もほとんど知られていないといっていい。

 それでも、1970〜80年代にかけての記録をみると、ほとんど同様のものがあることがわかる。


月さまといっしょに同じ間隔で進むのをソエボシという。ソエボシが月から比較的遠くに離れてあると、いつだかわからないが人が死ぬ。月の近くだと近いうちに人が死ぬ。月の右側にソエボシがあると男の人、左側なら女の人が死ぬ

(群馬県利根郡片品村戸倉、明治29年生まれの話者 [北尾 1999])


お月さんの近くでチカボシさん。そやそや、チカボシ、お月さんの近いところに出たら身近な者が死ぬと言いました

(奈良県吉野郡川上村、明治34年生まれの話者、[北尾 1999])


 ところで、私が調査をしているインドネシア東部の離島群、バンガイ諸島のサマにも、実はよく似た伝承がみられる。


三日月の右下に星があったら、母か姉妹が死ぬ。

三日月の左下に星があったら、父か兄弟が死ぬ。

(インドネシア共和国中スラウェシ州バンガイ諸島、[中野 2019])


三日月の上に星があったら、両親が死ぬ。

三日月の左下か右下に星があったら、誰かが駆け落ちする。

三日月の下に星があったら、子どもが死ぬ。

(インドネシア共和国中スラウェシ州バンガイ諸島、[中野 2019])


 正確には、「三日月」に相当するサマ語はないので、ここでは在来月齢3〜4日の月のことを指しているとかんがえてほしい。

 いずれにせよ、「両親が死ぬ」「子どもが死ぬ」などは、日本全国でみられる月のチカボシに類する伝承のようである。そんなに人が死んでどうするといいたくなるが、そこで興味深いのは、やはり「駆け落ち」という異質な要素の登場であろう。


 この「駆け落ち」のモチーフはある程度広がりをもって伝承されているようだ。同南東スラウェシ州ワカトビ諸島のサマにも「星や惑星が接近してみえると、翌日に駆け落ちが起こる」という伝承があり、これは本当にあたっているのだと語る住民もいる[Syiam 2019]。


 Jadi kalau malam kita lihat bulan dan bintang berdekatan, wah kita sudah ramai dan

bertanya-tanya [apakah] besok ada yang kawin lari)

—だから、夜に月と星が接近していると、私たちは盛り上がって明日は誰かが駆け

落ちするんじゃないかって思いをめぐらせてしまうんですよ

地元女性の言葉[Syiam 2019](訳は筆者による)


 実際のところ、この地域では駆け落ち(kawin lari)をする若者が多いということか[Syiam 2019]、噂話やゴシップ的な要素も相まって、別の意味で「盛り上がる」天文イベントになっているようだ。


 「雨が降る」といった観天望気のような事例は、丁寧に分析すれば天体現象と何らかの関連がみられるかもしれない。そうはいっても、多くの場合、それがあたろうが外れようがほとんど気にされないというのが俗信のおもしろいところであろう。

 前者の分析も心ひかれるが、一方で、月のチカボシのように一見すると何の役にも立たなそうな伝承の文化的背景、あるいは感性ともいうべき側面にも目を向けたいと思うのだ。世界はこうした「無意味なもの」に満ちていたほうがおもしろい。それを「駆け落ちだ」とか「人が死ぬ」などと読み取りながら日々を生きることは、なんと忙しく、また意味のあることだろう。

 

 この文が、あなたのみる空にひとつ色を足すことができたなら幸いである。

 

 

*地名はいずれも内田[1999]に準じたものであり、現在の市区町村名およびその範囲と同じであるとは限らない。

参考文献

内田武志『星の方言と民俗』、岩崎美術社 1973年

北尾浩一「天文民俗学試論(15)7. 突発的な現象—日食/月食/月の近くの星」NPO法人東亜天文学会民俗課、<https://www2a.biglobe.ne.jp/~kitao/oaaminzoku15.htm>最終閲覧日2026年7月9日(原典は北尾浩一「天文民俗学試論(15)」『天界』1999年6月号)

後藤明編『天文学と人類学の融合―それぞれの大地、それぞれの宇宙』(じんるいけんBooklet 2019 vol.4公開シンポジウム講演録)南山大学人類学研究所 2019

斉藤国治「日本書紀などわが国古記録中の星食記事の検証」『天文月報』第71巻第10号262-267 1978年

斉藤国治「日本上代において一日は午前3時に始まった—その天文年代学的な考証—」『科学史研究』19巻34号94-105 1980年

国立天文台「ほしぞら情報2026年7月」国立天文台、<https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2026/07-topics02.html> 最終閲覧日2026年7月9日

AstroArts「2026年5月19日 細い月と金星が接近」AstroArts、<https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/14228_ph260519> 最終閲覧日2026年7月9日

Stephanie Vermillion(鈴木和博訳)「満月「バックムーン」から5年ぶりの彗星まで:7月の星空8選」NATIONAL GEOGRAPHIC 、2026年7月1日 <https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/26/063000367/> 最終閲覧日2026年7月9日

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