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魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第26回

  • 7月29日
  • 読了時間: 5分

彩蘭弥 

相馬野馬追① ― ほんもののお殿さま


 田んぼばかりの車窓を、眠気眼でぼんやり眺めていた。そのときだった。視界の端を、甲冑をまとった武者が馬にまたがり、あぜ道を駆け抜けていった。

 えっ?

 思わず目をこすった。夢でも見たのだろうか。

 

 5月23日土曜日。福島県南相馬市・鹿島駅に到着したのは午前9時半。相馬地方に約1000年もの間受け継がれてきた伝統の神事「相馬野馬追(そうまのまおい)」を見るため、この地を訪れた。

 令和8年は午年。馬を題材にした作品を描きたいと考え、取材先を探していたところ、この祭りを強く勧められた。ご縁があって関係者の私的なツアーに同行させていただけることになり、少人数のグループに分かれて車で各地の祭事を巡るという、なんとも贅沢な機会をいただいた。

 相馬野馬追は、福島県相馬地方で受け継がれてきた、武士の軍事演習と神道の祭礼が融合した神事である。現在は国の重要無形民俗文化財に指定され、日本でも類を見ない、“本物の騎馬武者が出陣する祭礼”として知られている。

 伝承によれば、平将門が現在の千葉県付近・小金ヶ原で、野生の馬を敵兵に見立てて軍事訓練を行ったことが起源とされる。捕らえた馬は神に奉納され、軍事演習と神事が一体となった。その後、平将門の子孫と伝わる相馬氏が現在の福島県相馬地方へ移り住み、この行事を約700年にわたって守り続けてきたという。江戸時代を経ても、明治維新で武士の時代が終わっても、そして東日本大震災で被災した年でさえ、この神事は絶えることなく受け継がれてきた。その歴史を知るだけでも、この祭りに込められた人々の覚悟、気合の入りようが伝わってくる。

 

 相馬野馬追は三日間にわたって行われる。初日は、甲冑に身を包んだ騎馬武者たちが各地から集い、勇壮な行列を組んで出陣する。二日目には「甲冑競馬」や、空から降る御神旗を奪い合う「神旗争奪戦」が行われ、祭りは最高潮を迎える。そして最終日は、神聖な儀式「野馬懸(のまかけ)」で馬を神前に奉納し、三日間の神事は幕を閉じる。

 

 さて、私たちが最初に向かったのは永田陣屋。見渡す限り萌葱色の田畑が広がる風景の中、一角だけ空気がまるで違う場所があった。馬のいななきが響き、甲冑が触れ合う ジャカジャカ という乾いた音が風に乗る。三十騎ほどは居ただろうか、馬を伴い、武者たちが一軒の民家の前に集結していた。

 すると突然、一人の武者が大声で口上を述べ始める。

 「恐れながら申し上げます!! 某は○○の××! 副大将殿をお迎えに参上仕りましたっ!!」

 そう。ここは、これから戦へ向かう武者たちが、自らの主君を迎えに来る場面。各地で家臣たちが位の高い武将を迎え、その軍勢が少しずつ集まってゆく。酒を酌み交わし、此度の戦で武勲を立てることを誓い合う。法螺貝が高らかに鳴り響くと、副大将を先頭に武者たちは次々と馬へまたがり、あぜ道を進みながら出陣していった。

 どの馬もよく訓練されていたが、中には武者が背負う旗のはためく音に驚き、暴れ出す馬もいた。人を振り落とし、後ろ脚を高く蹴り上げる姿を間近で見たのは初めてで、非常に恐ろしく思えた。それでも、豪華な馬具で着飾り、堂々と立つ馬たちの姿は息を呑むほど美しく、惚れ惚れと見上げていた。

 

 次に向かったのは、かしま交流センター前広場で行われる北郷出陣式。会場には地元の方を中心に多くの見物客が集まり、中央には陣幕が張られていた。先ほどお見かけした副大将をはじめ、位の高い武将たちが一列に並び、その周囲を家臣たちが固めている。そのときだった。

 パカラッ、パカラッ――。

 軽快な蹄の音を響かせ、一騎の伝令が颯爽と駆け込んできた。

 「申し上げます!!」

 伝令は、祭りの主役ともいえる総大将が現在どこまで来ているのかを報告する係だ。その後も次々と伝令が現れ、総大将が少しずつ近づいてくる様子が伝えられる。まるで戦場で本陣の到着を待っているような緊張感だった。そしてついに、法螺貝の音とともに総大将が姿を現した。背には総大将の象徴である真っ赤な母衣(ほろ)を背負っている。現れたのは、なんと弱冠19歳の若武者だった。彼の名は、相馬賀胤(そうま よりたね)氏。相馬家第33代当主・相馬和胤(そうま かずたね)氏の孫であり、今年初めて総大将を務めるという。約400騎もの騎馬武者を率いる大将が、まだ十代の青年だったなんて。いったいどんな思いで、この大役を担っているのだろう。総大将を迎え、軍勢はいよいよ完全な陣容となった。隊列を整え、一斉に出陣していく姿はまさに戦国絵巻そのもの。これほど多くの馬を、一度に見たのは人生で初めてだった。

 

 昼食を近くの蕎麦屋で済ませ、私たち4人は車で20分ほどの南相馬市博物館へ向かった。野馬追を描いた屏風があると聞き、私がぜひ見たいとお願いしたのだ。館内には、野馬追に関する資料や貴重な武具のほか、縄文時代から続く相馬地方の歴史が学べる充実した展示が並んでいた。団体客が帰り、館内が静かになった頃だった。六人ほどの武者姿の一団が、すっと入館してきた。

 あれ……?

 よく見ると、先ほどの若き総大将と、そのご家族、そしてお付きの方々だった。博物館の館長が総大将に向かって丁寧に展示を案内し、野馬追の歴史を一つひとつ説明していく。総大将は静かに耳を傾けていた。館内にはほとんど人がおらず、ごく私的な相馬家の時間に偶然立ち会ってしまったようで、私はドキドキした。相馬家は、代々この相馬野馬追を受け継いできた旧相馬中村藩主家の家系であり、総大将はその子孫が務める伝統となっている。元服(数え年15歳)を迎えた年に初陣を飾るという慣わしも、今なお受け継がれている。こんな時代劇みたいなことが、令和の世になっても続けられていたなんて。

 説明を終えた館長は、最後にこう語った。

 「相馬家の方々がいてくださるお陰で、我々のような農民も、この地で誇りを持って生きてゆけるのです。相馬家の方々には本当に感謝しております。」

 戦装束を脱げば、ごく普通の十代の青年であろう若者に向かって、心から敬意と感謝を伝える館長に、私はすっかり心打たれてしまった。この土地には、今もなお"生きた殿様"がいる。武士の子孫も、農民の子孫も、「殿のために」という思いを受け継ぎながら、この祭りを守り続けているのだ。

 

 次回はいよいよ、祭り最大の見どころである二日目へ。

 相馬野馬追② ― いざ合戦!

 どうぞお楽しみに。




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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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