top of page

台所文芸論―生と死をめぐる食卓 第8回

3 日前
読了時間: 9分

湯澤規子


台所で交差する旅人たちの胃袋と人生―林芙美子『放浪記』 


放浪旅に台所さえあれば 

 2026年の夏、私はトルコの街、イスタンブールを放浪していた。イスタンブール大学で開催される国際地理学会での発表がひとつの目的だったが、その前後は研究仲間と一緒に台所つきの一軒家を借りて自炊し、現地を放浪しながら異国の日常に入り込んでフィールドワークの日々を送った。 

 

 異国で過ごす日々には台所さえあれば、面白くて、思いがけないことが次々と起こる。食料や水を買いに行ったり、料理をしたりしているうちに、現地の日常の真ん中に入ってしまうからだ。ホテルに泊まっていたのでは経験できない出来事に遭遇する。私は「チョイ住み」というNHKの番組が好きなのだが、それは見知らぬ二人が共同生活するだけでなく、そこにはいつも台所があって、台所を起点に異国の街の素顔、人、歴史、暮らしと偶然つながってしまう面白さが見どころなのである。 

 

 たとえば今回のトルコ旅では、スーパーマーケットやベーカリーに買い物に行ってみると、そこにはいつも猫がいた。イスタンブールは「猫の街」という異名をもつだけあって、街の至る所に猫たちが悠々と暮らしていた(写真1)。買い出しに行ったスーパーマーケットにいた黒と白のハチワレ猫は、買い物に来た地元の女性にねだってペットフードを買ってもらっていた。女性は支払いを済ませると、店の外の歩道に猫のごはんを置いて、「さあおあがり、またね!」と言って立ち去る。ハチワレ猫は満足げに背中を丸めて夕食にありついていた。 

 

写真1 イスタンブールの猫(2026年8月筆者撮影、以下同様)
写真1 イスタンブールの猫(2026年8月筆者撮影、以下同様)

        

 路上の猫たちのために、ドライフード、生肉、魚、焼きとうもろこしなどが街のあちらこちらに置かれている(写真2)。個人の台所が街へ浸み出し、人間のための台所と猫のための台所が入り混じる。日本ではもう見かけなくなった、路上に広がるこうした混沌こそが、この街の魅力なのかもしれない。これはイスラームの喜捨の文化とも関係している風景なのだろうか。イスタンブールのわが家に帰る途中、長くて急な坂を上った先にある高台で、ボスポラス海峡の夕暮れを眺めながら、そんなことを考えた。 

 

写真2 猫と焼きとうもろこし
写真2 猫と焼きとうもろこし

異邦人と放浪者の食卓 

 私たちが借りた一軒家には中庭があり、ソファーが設えてあった。もちろんそこは猫たちが占拠している。中庭に面していくつもの家があり、住人たちがやっぱり中庭の猫たちの世話をしていた。猫と話している女性と目が合うと、「あなたも良い一日を!」という言葉とともに、投げキッスが飛んできた。木漏れ日の中、そんな素敵な朝を過ごしていると、知らない男性たちが数人、賑やかに中庭に入って来た。共通のユニフォームを見ると、どうやら清掃作業員らしい。聞くと、この地区一帯を担当しているのだとか。 

 

 彼らは簡易テーブルを運んで来て、中庭に食卓をセットし始めた。興味津々で眺めていると、「一緒に食べよう」と手招きしているのが見えた。私たちは自分たちの食べかけの朝ごはんを抱えて、日本から持ってきた「柿の種」を手土産に彼らの食卓へ向かった。食卓の上にはバケット、ハム、チーズ、バター、オリーブ、トマトが並ぶ。中庭の端に設置されているコンテナを使った簡易事務所の小さな台所で淹れた熱々のトルコチャイが運ばれてきた(写真3)。 


写真3 中庭の異邦人と放浪者の食卓
写真3 中庭の異邦人と放浪者の食卓

 「いつもこうして外で朝ごはんを食べているの?」と尋ねると、「僕たちは作業員仲間の中でも放浪グループなのさ」と言って彼らは笑った。バケットを手でちぎってバターとハチミツを挟んで「トルコの味だよ」と手渡してくれる。私はそれを頬張りながら、「ありがとう」というトルコ語の発音を教えてもらって、お礼を伝える。 

 

 異邦人と放浪者がひとつの食卓を囲み、お互いの台所から食べものを持ち寄って食べる。 

 

 街のベテラン放浪者である猫たちもお気に入りの場所に寝そべって私たちの様子を見ていた。そんな空間で、私たちは色々な話をした。彼らにはそれぞれ仕立屋、鍛冶屋、ミュージシャンという本業があって清掃作業員は副業であること。インフレが激しく、物価の高騰が続くこの街で暮らしていくには仕事を掛け持ちしなければならないこと、家にも猫を飼っているけれど、この中庭の猫にも順番でごはんの世話をしていること。ミュージシャンだという彼は、トルコの西南、エーゲ海の真珠と呼ばれるイズミルという町から少し内陸に入った古い街が故郷であることや、音楽活動のためにイスタンブールにやって来たこと、そのバンドは結構魅力的であることなどを話し、人生がするすると絵巻物のように差し出された。 

 

 「腹を割って話す」という言葉があるが、「胃袋」をさらけ出すような、「食べる」という行為をまん中に置いた食卓で、異邦人と放浪者が心を通わせる奇跡のようなひとときが生まれた。 

 

大衆食堂「ロカンタ」で食べ、慈善給食所「イマーレット」について考える 

 私たちは家の台所だけでなく、街の台所も放浪してみることにした。トルコには「ロカンタ」と呼ばれる大衆食堂があり(写真4)、私たちはそこへ足を運んだ。私が旅先で好んで大衆食堂で食事をするのは、そこには観光客向けの建て前の街の表情ではなく、地元の人たちが親しむ本音の街の表情があると思うからだ。拙著『胃袋の近代』は大衆食堂の風景から着想した部分も多い(1)。胃袋と社会の研究は学生時代にとんかつ屋でアルバイトをしていた時に、厨房や勝手口、ごみ捨て場から社会を見る面白さに気づいたことが原点になっているが、もうひとつ、アメリカ合衆国のデラウェア大学の歴史学者ターナー・キャサリン・レオナルドによって書かれた大衆食堂研究からの影響が大きい(2)。大衆食堂が生まれる背景には、多くの労働者たちの胃袋の欲求があることを私はこの本で学んだ。 

 

写真4 イスタンブール旧市街地のロカンタ
写真4 イスタンブール旧市街地のロカンタ

 日本で多くの労働者が誕生したのは明治~大正期のこと。都市や工場へと集まってくる労働者たちは、自分自身の胃袋を満たす自給的基盤や台所を持っていなかった。だから街には大衆食堂や屋台、工場や軍隊、学校には集団給食のシステムが整えられた。それでもなお、そのシステムからこぼれてしまう人びともいた。統計や文献には現れない、そういう人びとの胃袋を、私は林芙美子の自伝的文芸作品といわれる『放浪記』に触れて、想像するようになった(3)。この作品にはとにかく食べものの描写が多い。それは食べることがままならないために、食べものへの欲求が募るからだ。「胃袋」という言葉も印象的に登場する。私が「胃袋」という言葉を格別の想いを込めて使うようになったのは、『放浪記』に出会ってからである。 

 

 木賃宿で家族と食べるかぼちゃ飯、一人放浪するようになって工場から帰った後に食べる寂しい冷飯、他人が食べる肉の煮込みの匂いを嗅ぎながら噛む大根、大衆食堂で世の中のどん底を覗きながら味わうごった煮。食べられないがゆえに食べたいものを想像する数多の食べもの。林芙美子が胃袋によって描写する日々の迫力に圧倒される一方、そうした厳しい日々の描写を読むほどに、近代日本では社会的な食堂が存在こそすれ、少ないことにも気づかされた。では、時空を越えて「胃袋」を見つめるとどのような世界が見えてくるのだろうか。私はいつも日本各地、世界各地の街を歩きながら、「人びとは何を食べているのか」というシンプルな問いを携えて大衆食堂を探し、放浪する。 

 

 ロカンタは、トルコに暮らす人びとの暮らしを支えるインフラ、公共の台所という意味合いが強く、安価な食事はメニューが豊富で持ち帰りもできる。私たちが行ったロカンタは、パンとチャイは無料でお代わり自由。私の前に並んでいたおじさんは、袋にいっぱい、パンを詰めてもらっていた。入り口でトレイを取って、あれこれと食べたいものを指さして店員にお皿に入れてもらうという形式は楽しく、言葉が通じなくてもジェスチャーで注文できる安心感がある。大勢の客で賑わう中、私たちはヨーグルトがたっぷりかかったマントゥ(トルコ式水餃子)、ピラウ(米のピラフ)、ジャジュク(キュウリとハーブのヨーグルト和え)、レンズ豆のスープ、ヨーグルトのスープ、鶏のスープ、ピーマンの炒め物、ヘチマの肉詰め煮、ラザニア、そして甘いトルコチャイを屋外の食卓に並べて味わった(写真5)。 

 

写真5 ロカンタの食卓
写真5 ロカンタの食卓

 食事をしながら、私はロカンタの起源を考えていた。世界の西と東を結び、人や物資の往来が盛んだったトルコでは、数多の旅人が行き交ってきた歴史がある。今でも街にはハンと呼ばれるオスマン帝国時代の隊商宿の建物が残り(写真6)、商都の栄華の名残をとどめている。これほど多種多様な猫が多いのも、世界各地から集まる船から降りた猫が住み着いたからだとか。つまり、イスタンブールをはじめとしたトルコの街は、異邦人、旅人、放浪者を受け容れ続けてきた街ということになる。 

 

写真6 旧市街地のグランドバザール近くのハン 
写真6 旧市街地のグランドバザール近くのハン 

 街の台所の歴史を遡ると、オスマン帝国時代にはイマーレットと呼ばれる慈善給食所がトルコを含むアナトリア地方各地の都市に建てられていたことが知られている。イスラーム寄進制度(ワクフ)によって運営された施設では、貧者や弱者を含む人びと、旅人たちの朝夕の食事が無償で提供された(4)。これは単なる無料食堂というよりも、慈善事業、イスラーム、オスマン帝国時代の都市、政治、食料調達、建築といういくつもの要素が交差した制度であった(5)。トルコでは今でもこの現代版イマーレットとしての給食所が自治体によって運営されている地域があり、それは「料理の家」と呼ばれている。かつてのハン(隊商宿)の建物がこうした施設として使われている例もあるという。 

 

 オスマン帝国のその後の変化、都市と産業の発達と労働者の誕生、西洋のレストラン文化の広まり、その延長線上にロカンタが成立したのだとすると、イマーレットとロカンタはどこかでつながっているのかもしれない。イマーレットと猫の街の関係もしかり。そんなことを考えながら、都市を行き交う旅人、放浪者の胃袋とその人生を想像する私もまた、イスタンブールを旅するひとつの胃袋にほかならないのだった。



(1) 湯澤規子『胃袋の近代―食と人びとの日常史』2018年、名古屋大学出版会 

(2) Turner, Katherine Leonard. How the Other Half Ate: A History of Working-Class Meal at the Turn of the Century, California Studies in Food and Culture, 2014.  

(3) 林芙美子『新版 放浪記』1985年、新潮文庫 

(4) 藤木健二「アナトリア都市トカトの慈善給食所」『地中海学会月報』459号、2023年。

(5) Amy Singer. Constructing Ottoman Beneficence: An Imperial Soup Kitchen in Jerusalem, State Univ of New York Press, 2002. 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。

背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

© 2022 なぎさ created with Wix.com

bottom of page